賢治さんが憧れの東京でどこに行き何をしたかったのか?その足跡を追っているのが「ナギノート」です。そのスタートになったのが、研究叢書「賢治地理」に収録されている奥田弘氏『宮澤賢治の東京における足跡』です。
2024年は過去に訪問した場所も再訪して、今の姿を紹介します。
「賢治の東京における足跡」2024
【随時リンク追加】
- 西ヶ原農事試験場(初出)大正5年3月 盛高農校友会誌より
- 東京高等蚕糸学校(初出)大正5年3月 盛高農校友会誌より
- 駒場農科大学(初出)大正5年3月 盛高農校友会誌より
- 浅草公園(初出)大正5年3月 短歌より
京橋(初出)大正5年3月 短歌より- 北宸館(北辰館)(初出)大正5年8月 書簡より
- 帝室博物館(初出)大正5年8月 短歌年譜より
- 植物園(初出)大正5年8月 短歌より
- 両国橋の袂の宿(初出)大正6年1月 書簡より
- 永楽病院(初出)大正7年12月 書簡より
- 雲台館(初出)大正7年12月 書簡より
- 音羽郵便局(初出)大正7年12月 書簡より
- 責善寮(初出)大正7年12月 書簡より
- 上野図書館(初出)大正8年1月 書簡より
- 国柱会館(初出)大正8年1月 推定
- 小林六太郎宅(初出)大正8年1月 書簡より
- とげぬき地蔵尊(初出)大正8年1月 書簡より
- 水晶堂(初出)大正8年1月 書簡より
- 金石社(初出)大正8年1月 書簡より
- 古宇田病院(初出)大正8年1月 書簡より
- 日比谷図書館(初出)大正8年1月 書簡より
下谷かざりや(初出)大正8年1月 書簡より松屋の貞蔵さん入院先(初出)大正8年1月 書簡より- 稲垣宅(初出)大正10年1月 書簡より
- 文信社(初出)大正10年1月 書簡より
- 明治神宮(初出)大正10年1月 書簡より
- 清六氏止宿先(初出)大正12年1月 手帳の研究より
- 上州屋(初出)大正15年12月 書簡より
- タイピスト学校(初出)大正15年12月 書簡より
- 塚本ビル(初出)大正15年12月 書簡より 丸ビル
- 旭光社(初出)大正15年12月 書簡より
- 歌舞伎座(初出)大正15年12月 書簡より
- 築地小劇場(初出)大正15年12月 書簡より
- 東京国際倶楽部(初出)大正15年12月 書簡より
- 大津三郎宅(初出)昭和2年 月報より
- 丸善(初出)昭和3年6月 詩より
- 大島(初出)昭和3年6月 詩より
- 日活館(初出)昭和3年6月 詩より
- 霊岸島(初出)昭和3年6月 詩より
青木通り(初出)昭和3年6月 詩より- 八幡館(初出)昭和6年9月 手帳より
- 高村光太郎宅(初出)大正15年12月 空欄
- 菊池武雄宅(初出)大正15年12月 年譜宮澤賢治伝より
- 阿部孝止宿先(初出)大正8年1月 甘口辛口より
44の場所名が挙げられていますが、本文中「未詳」ということで記載されていないのが22と23。5は20と同じ目的地。40の青木通りに至っては、未詳かどうかも記載されていませんでした。
というわけで、名前が挙がっていますが具体的に検証が書かれていない4箇所を除外して、40箇所の2024年現在です。