SL乗車レポート 2023まとめはこちら

宮沢賢治の東京における足跡まとめ2024

資料

賢治さんが憧れの東京でどこに行き何をしたかったのか?その足跡を追っているのが「ナギノート」です。そのスタートになったのが、研究叢書「賢治地理」に収録されている奥田弘氏『宮澤賢治の東京における足跡』です。

2024年は過去に訪問した場所も再訪して、今の姿を紹介します。

スポンサーリンク

「賢治の東京における足跡」2024

【随時リンク追加】

  1. 西ヶ原農事試験場(初出)大正5年3月 盛高農校友会誌より
  2. 東京高等蚕糸学校(初出)大正5年3月 盛高農校友会誌より
  3. 駒場農科大学(初出)大正5年3月 盛高農校友会誌より
  4. 浅草公園(初出)大正5年3月 短歌より
  5. 京橋(初出)大正5年3月 短歌より
  6. 北宸館(北辰館)(初出)大正5年8月 書簡より
  7. 帝室博物館(初出)大正5年8月 短歌年譜より
  8. 植物園(初出)大正5年8月 短歌より
  9. 両国橋の袂の宿(初出)大正6年1月 書簡より
  10. 永楽病院(初出)大正7年12月 書簡より
  11. 雲台館(初出)大正7年12月 書簡より
  12. 音羽郵便局(初出)大正7年12月 書簡より
  13. 責善寮(初出)大正7年12月 書簡より
  14. 上野図書館(初出)大正8年1月 書簡より
  15. 国柱会館(初出)大正8年1月 推定
  16. 小林六太郎宅(初出)大正8年1月 書簡より
  17. とげぬき地蔵尊(初出)大正8年1月 書簡より
  18. 水晶堂(初出)大正8年1月 書簡より
  19. 金石社(初出)大正8年1月 書簡より
  20. 古宇田病院(初出)大正8年1月 書簡より
  21. 日比谷図書館(初出)大正8年1月 書簡より
  22. 下谷かざりや(初出)大正8年1月 書簡より
  23. 松屋の貞蔵さん入院先(初出)大正8年1月 書簡より
  24. 稲垣宅(初出)大正10年1月 書簡より
  25. 文信社(初出)大正10年1月 書簡より
  26. 明治神宮(初出)大正10年1月 書簡より
  27. 清六氏止宿先(初出)大正12年1月 手帳の研究より
  28. 上州屋(初出)大正15年12月 書簡より
  29. タイピスト学校(初出)大正15年12月 書簡より
  30. 塚本ビル(初出)大正15年12月 書簡より 丸ビル
  31. 旭光社(初出)大正15年12月 書簡より
  32. 歌舞伎座(初出)大正15年12月 書簡より
  33. 築地小劇場(初出)大正15年12月 書簡より
  34. 東京国際倶楽部(初出)大正15年12月 書簡より
  35. 大津三郎宅(初出)昭和2年 月報より
  36. 丸善(初出)昭和3年6月 詩より
  37. 大島(初出)昭和3年6月 詩より
  38. 日活館(初出)昭和3年6月 詩より
  39. 霊岸島(初出)昭和3年6月 詩より
  40. 青木通り(初出)昭和3年6月 詩より
  41. 八幡館(初出)昭和6年9月 手帳より
  42. 高村光太郎宅(初出)大正15年12月 空欄
  43. 菊池武雄宅(初出)大正15年12月 年譜宮澤賢治伝より
  44. 阿部孝止宿先(初出)大正8年1月 甘口辛口より

44の場所名が挙げられていますが、本文中「未詳」ということで記載されていないのが22と23。5は20と同じ目的地。40の青木通りに至っては、未詳かどうかも記載されていませんでした。

というわけで、名前が挙がっていますが具体的に検証が書かれていない4箇所を除外して、40箇所の2024年現在です。

「賢治の東京における足跡」過去の様子