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宮沢賢治、妹の入院に付き添った時のゆかりの場所

宮沢賢治と東京

2024年11月8日、今日は宮沢賢治さんが上京して妹トシさんの看病をしていた、旧「東京大学医学部附属病院分院」周辺を歩いてみたいと思います!

鬼子母神前駅をスタートして、まずは大鳥神社で探検の収穫祈願!酉の市ですね♪屋台があります。今年は三の酉までありますから、火の用心!

実は、「荒川線 鬼子母神前駅」と「副都心線 雑司が谷駅」は地上と地下で場所は一緒です。

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宮沢賢治さんの妹が通っていた「日本女子大学」へ

目白通りを直進するとY字の交差点に出ます。ここ、重要ポイント!正面エリアの奥が、日本女子大学です。

Y字の交差点を左に進むと裏手。

すぐ近くに女子寮も。賢治さんはお母さんと入ったようですが、部外者は入れません。警備員さんに注意されますよー。

塀の外から雰囲気のある建物を見るに留めます。

今度は、先ほどのY字の交差点を右へ。レンガの壁が素敵♪正門です。こちらも警備員さんが常駐していて、部外者が勝手に入れません。女子大の警備は厳しい!

警備室で許可を取って、文化財の成瀬記念講堂の外観だけを撮影しました。

室内はステンドグラスが綺麗なんだろうなぁ…というのが道路からでもわかります。

宮沢賢治さんの妹が入院していた「東京大学医学部附属病院分院」跡

賢治さんの妹は、日本女子大学在学中、卒業を間近に控えて入院します。それが大学最寄りの病院、「東京大学医学部附属病院分院」です。賢治さんは上京して近くの宿に逗留し、通いで看病しました。

当時のままの守衛室。ここの前を、通ったんですね。病院はもうありません。そういえば賢治さん、妹のために材料を買ってきて病院でアイスクリームを作ったりもしていました。

妹看病のため、母と滞在した「雲台館」

入院していた病院と桂林寺正門の間あたりに、賢治さんとお母さんが泊まっていた「雲台館」跡地があります。今は土地も分割され、民家になっています。約2ヶ月、賢治さんは妹の看病をしながら、図書館通いや石の職業設計をしたりと東京生活をしていました。

賢治さん、日課は入院している妹の病状を父に知らせること。詳細に書いては「音羽郵便局」から出していました。桂林寺前から道路を渡ると「文京音羽郵便局」が!建物は明らかに新しいですが、私も風景印を押していただき、郵便局通いの気分を味わいました。

以上が妹が入院していた病院周辺の、賢治さんゆかりの場所になります。

実はあの映画の舞台!?西洋小料理『コクリコ』

次のエリアに移動するために「附属横坂」を登っている途中、素敵な雰囲気のお店に遭遇。急にお腹すいちゃった…

ナポリタン、ちょっと時間かかりますよ〜と説明されて、余計に気になってしまいオーダー。美味しかったので満足♪店内装飾も素敵で、お客さんいっぱいで賑わっていました。

もしやと思って後から調べたら、ジブリ映画『コクリコ坂から』原作の舞台という情報が。なるほど!雰囲気あったなぁと納得です。

さて、この後は茗荷谷駅に向かい、賢治さんが東京を離れる寂しさを短歌で詠んだ「小石川植物園」に行きます。来週掲載するレポートも併せてご覧ください♪

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<以前のレポート>
日本女子大学は早稲田大学や、講談社も近いのでこちらのルートで回るのもオススメです。