白木屋呉服店跡を見ていて、御茶ノ水橋の東京市電廃線がどうなったか気になったので見に行くことにしました。その途中です。 ・前の記事:東京名所・白木屋呉服店/現コレド室町 ・後の記事:御茶ノ水橋の廃線軌道、撤去完了確認 ……あ、この道ってよりみちノートに地図が無いΣ(・ω・ノ)ノ! とりあえず、イメージで描きかけの地図を入れておきます。
銘板の「日本橋」は、最後の将軍徳川慶喜公の字です。
というわけで、加工!たりらりら~ん♪
1911年に今の石橋を作る時に、当時の東京市長の尾崎行雄が、「東京の一番の恩人」との強い意志と敬愛の念で、ここに慶喜公の字を残しました。
こんなに目立つ場所がコピペでいいんだろうか…?
翼のある麒麟の像も逆光です。午前中の日本橋は撮影不向きです。夜が良い感じなんです。
ダーンッ!バーンッ!迫力ムッキムキですね。麒麟というより翼竜です。元が想像上の生物なので、ツッコむことに意味はないのかもしれませんが。
日本橋三越本店、三井本館、日本橋三井タワー……と、日本橋の観光名所が続く道を直進。
右、コレド室町1。日本橋を境にコレドが日本橋から室町に名称が変わっています。コレドいっぱい。 通りの突き当り、左前方にコレド室町テラスが見えたら、そこが旧本石町です。
前の道路に本石町停車場がありました。 ここでみずほ銀行側に渡り、福島物産館を見つつ更に直進します。
右を見ると、通り沿いに岩手銀行の入っている東山ビル。
六太郎さんの家は、今でも新日本橋徒歩5分以内の好立地です。…欲しい。
更に直進すると、次の角。ちょっと路地に入る感じに今川橋跡です。
今川橋と竜閑川の様子です。今は埋め立てられて道路になっています。さて、ここには路電が走っていたのですが、この橋では電車の重量に耐えなさそうですよね…埋め立ては昭和25年(1950年)なので、石橋か鉄橋に架け替えしたんでしょうか?賢治さんがこのあたりに来た時の橋の様子はこれではなさそうです。
「橋」と名前にある通り、次の交差点は元「川」。 かつて、このあたりにあったお店が今川焼の名前の由来。 『東海道中膝栗毛』の弥次さん・北さんもこのあたりに住んでいたそうです。
そのまま直進すると、須田町、旧万世橋駅、御茶ノ水駅……と、続くのですが、 お腹すいたので、左折してJR神田駅の中へ。
急ぐ道中、着座の時間も惜しいので最適解。
生なのが嬉しい&美味しそうです。
チャームポイントはロゴ入りのカマボコのかき揚げ蕎麦。いただきまーす…… 玉ねぎと人参のかき揚げ。揚げたてではないものの、サクサクして美味しいです。 はっΣ( ̄ロ ̄lll)ガーン……顔をあげて気づいてしまいました。
鴨があったか…プライベートなんだから鴨でも良かったなぁ。 かき揚げも美味しいけど、鴨南蛮が一番好きです…。
今日は万世橋駅行かないで、電車で御茶ノ水駅行っちゃいます。 行先表示板が「調整中」と謎の状態になっているので、鉄道新聞の編集長にお伺いしたところ、後ろにある表示板に切り替え中で、しかも中央線では最初の設置だというのを教えていただきました。 面白い場面に出くわしました(笑) では御茶ノ水駅に向かいます……あ、車窓から万世橋駅見えたんですが、油断してて撮り逃しました。 つづく