ナギノートは「宮澤賢治と東京」をテーマとした街歩きを記録したノートです。
サイト内には賢治さんと関係無いエリアもいくつか混じっていたり、関係無いと思って行ったら関係があった場所もあります。
東京は時代の変化が早い場所なので、記載日/記載者について明記したいと思います。
ナギノは2019(令和元)年時、川崎市幸区在住。
幸区の情報誌「幸区にゃんだふる通信」の編集者であり、歴史記事の担当をしています。多摩川を渡ればそこは東京です。東京都大田区とは徒歩の距離です。絵本作家かこさとし先生は、会社員時代に幸区から都内へ歩いて通勤していました。
2008(平成20)年まで、岩手県の「石と賢治のミュージアム学芸員」。2018(平成30)年スターツ出版発行「よりみちノート」に出会って、賢治と東京への思いが再燃。賢治の東京における足跡を軸に東京を歩きました。
学芸員のころから研究しているテーマは「1931(昭和6)年の賢治」です。
この年は、東北砕石工場でサラリーマンになり、セールスのため東京に上京、目的を果たせずに高熱に倒れ死を覚悟する事態になり帰郷。そして、病の床で「雨ニモマケズ」を書いた年です。
賢治37年の生涯の最晩年にあたります。
1978年生まれの私にとって、既に多くの研究をした先輩がいて、宮澤賢治はメジャーな存在でした。
岩手県に生まれた者は、県外に出れば自身の知識にかかわらず賢治さんと比較される立場に置かれます。
何を書いても描いても賢治さんと比較される十代を送った後、二十代で研究をする者になったことで、今度は常に自分が賢治さんを意識する立場になっていました。時代の背景や賢治さんの意図について突き詰めていく生活を送った後、職を離れ上京したことで一度プツリと途切れます。
病院の待合室で出会った白地図の東京を見た時に最初に思ったこと…その地図の東京は、今話題のエリアなのですが…「そういえば賢治さんもこの辺に来てたなぁ」でした。どこか懐かしい知り合いのことを思い出すように自然と出てきた感想でした。
しかし、同時に地図を見て気がついたこと。
修行僧のような生活をしていたと思っていた賢治さんが、実は東京に来て歩いていたところはTHE観光地!!思い出したら無性に、そこに何があったのか、今は何があるのか気になってしまい、その白地図「よりみちノート」を買って通院の合間に多摩川の向こうを見に行くことにしたのです。
ノートを書くときは、常に意識の根幹で1931年の目線で時代を追ったり、比較しています。
いわずもがな…賢治さんは宮澤賢治(宮沢賢治)のことです。
岩手在住時、宮澤賢治について研究する中で、繰り返し強く残ったのが東京へ憧れる気持ち。郷土を愛そうとしながらも、強い東京への想いを随所に感じていました。私もまた、東京が好きです。
子供の時からテレビの画面越しに憧れた世界です。東京近郊に越してきたからこそ気軽に東京に行けるようになりました。あの頃の賢治さんが何を見ていたのかを見てきます。