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宮沢賢治の兄的存在「小林六太郎」宅と宮澤家常宿「宮城館」、そして「明治座」へ

宮沢賢治と東京

2024年8月29日、JR新日本橋駅にやってきました。まずは、宮沢賢治さんの東京の兄的存在「小林六太郎」の家跡に行きたいと思います。家族ぐるみで商売の付き合いもあったので、上京初期は父のお使い、家出の時も倒れて命が危うかった時もお世話になった方です。

この裏の通りの角の建物が、かつて「小林六太郎」氏の家があった場所です。今はマンションが建っています。

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東京の兄的存在「小林六太郎」の家

旧・小林六太郎宅(移転後:1930年頃〜)/現・マンション

こちらの場所は関東大震災からの復興「帝都大復興事業」で移転した場所で、移転する前の場所は近くの別の場所になります。1931(S6)年、八幡館に助けに来た時の住まいはここです。

宮沢賢治が泊めてもらった「小林六太郎」の家

旧・小林六太郎宅(移転前:〜1930年頃)/現・オフィスビル

角の鰻屋さんの向こう側。移転前の小林家の場所はここです。ビル・歩道・道路までが敷地の、広いお宅でした。賢治さんが1921(T10年)に家出した時に泊めてもらった家はこちらです。

さて、新日本橋駅に戻ってきました。次は隣の馬喰町(ばくろちょう)駅に移動します。

JR馬喰町駅です。馬喰町駅は、都営新宿線 馬喰横山駅、都営浅草線 東日本橋駅と地下で繋がっています。

東日本橋駅の出口です。

スカイツリーを横目に歩き、2分で目的の「宮城館」に到着しました。

宮沢賢治が叔父と宿泊した宿「宮城館」

旧・両国橋の袂の宿「宮城館」/現・宮城館ビル

宿だった宮城館は、「宮城館ビル」になっています。1917(T6)年1月4日、父・政次郎が残した用を果たすために、母方の叔父・恒治と宿泊しました。 翌日には明治座にも行っています。

都営地下鉄新宿線 浜町駅

宮城館から直進で徒歩7分、浜町駅前に着きました。

宮沢賢治がぷらりと入って一幕観た「明治座」

右折して3分、「明治座」です。賢治さんはぷらりと入って一幕見たとのこと。

しかし、今公演中『バサラオ』はチケット入手困難の人気ぶり。ぷらりとは入れません。うーん…では、出直しましょう!

出直し!新旧「明治座」と現館内

2024年9月19日、数日置いて出直しました。今日は「人形町駅」から明治座に向かいます。前回の東日本橋駅より1つ東京寄りの駅です。

先週の記事「宮沢賢治20歳、メリーゴーランドに乗った浅草」で書いた「吉原遊廓」、移転前は人形町にあり「元吉原」と呼ばれていました。

「末広神社」は元吉原の鎮守だった神社です。この周辺が元吉原ということになりますが、今は飲食店だけが並んでいます。

飲食店が立ち並ぶ小路を抜けて、明治座に向かいます。

明治座のある大通りの一本手前に「笠間稲荷神社 東京別社」があります。実は、この神社の裏こそ、関東大震災前に「明治座」があった場所なのです!現明治座の場所にも「笠間稲荷神社明治座分社」があり、笠間稲荷と明治座の関係が伺われます。

1917(T6)年1月5日に宮城館から「明治座を一幕だけのぞきました」の場所はここ。浜町川沿いに建っていましたが、関東大震災で今の場所に移転。浜町川も埋め立てられました。

今の場所に移転後の明治座。完成からわずか3ヶ月後の1928(S3)年6月21日にも賢治さんは明治座に来ています。

今日は私も明治座で『バサラオ』を観劇します!

初めての明治座。ロビーには赤絨毯が敷かれ、壁は日本画、天井はシャンデリアで飾られていました。豪華!売店や喫茶店、食堂もあって、観劇の特別感を盛り上げます。演目の『バサラオ』、客席のすぐ横を駆け抜けていくので、至近距離で風を感じながら楽しみました。

幕間のお弁当。高級海苔弁「いちのや」は、「日本ロケ弁大賞」で金賞を受賞した人気弁当とのこと。タンパク質いっぱい♪

宮沢賢治さんは、東京でいくつもの劇場を訪れています。明治座の他、築地小劇場・歌舞伎座・市村座・本郷座・新橋演舞場など。今回の観劇、とても楽しかったので、今後は建物だけではなく作品鑑賞も視野に入れていきたいと思います!

リンク

<宮城館について>