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宮沢賢治と高村光太郎が行った、上野「じゅらく」へ

宮沢賢治と東京
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本日の計画書

2024年8月8日、久しぶりの「よりみちノート」登場!今日の行程を書き込んでいます。宮沢賢治は1926(T15)年に高村光太郎を訪問し、上野駅近くの「聚楽(じゅらく)」で飲んだとのこと。では、高村光太郎の家から上野駅まで歩いてみましょう!

JR日暮里駅から高村光太郎の家へ!

西日がまぶしいJR日暮里駅を出発します。

日暮里駅からまっすぐ徒歩5分、「夕焼けだんだん」に到着しました。ここは夕焼けの名所なのですが、ちょっと早かったようです。

谷中銀座商店街

階段を下ると「谷中ぎんざ」です。お盆前か、今日はお休みのお店がちらほら。

まずは高村光太郎宅に向かいたいので、屋根の上の猫さんを楽しみながら通り抜けます。

商店街を抜けたら、いくつか坂があるのですが「狸坂(たぬきざか)」を上ります。坂、多いですね。

登り切ったところに、高村邸がありました。……今は看板だけです。

旧・高村光太郎宅/現・看板のみ

高村光太郎旧居跡です。さてここからが本題!高村光太郎に会いに来た宮沢賢治、ここから一緒に上野の「聚楽(じゅらく)」に夕飯を食べに行きました。それではスタート!

まずは5分ほどで団子坂へ。

坂を下って不忍通りに交差します。お二人は池之端から行ったらしいのですが、そちらに行くと池しか無さそうなので…うーん、せっかくだから他の「賢治の足跡」も回りたいので、私は団子坂を直進します!

うぅ、しまった…思ったより坂がキツイです!下ってきたはずなのに、気付けば再び登り坂に突入しています。もしかして、不忍通りルートの方がアップダウンが少なかったかもしれません。

旧・阿部孝止宿先/現・道路

実は、ここも重要なターニングポイントの跡!坂を上がりきった道路の角が、賢治の同級生「阿部孝」の下宿があった場所です。ここで宮沢賢治が萩原朔太郎作『月に吠える』に出逢い、影響を受け、やがて心象スケッチ『春と修羅』につながっていきます。

今は道路になってます。心象スケッチが詩に繋がった場所、今は幻です。

さてさて、ここはもう谷中墓地の入口付近です。有名人のお墓がいっぱいある場所ですが、今日は谷中墓地には入らずに、背を向けて進みます。

直進。道が細くなっても直進。

すると、東京藝大前の通りに出ます。

「博物館動物園駅」跡。このディティールが素敵すぎて、いつも中が気になってしまいます。開かないかなぁ……

旧・上野図書館/現・国際子ども図書館

ちょっとわき道を入ると「国際子ども図書館」があります。

今日はもう閉館してしまいましたが、中もとても素敵なのです。入館無料!

内装については、以前のレポートをどうぞ!

旧・帝室博物館/現・東京国立博物館

東京国立博物館まで来ました。旧「東京帝室博物館」と場所は同じですが、ジョサイア・コンドルの設計の建物は関東大震災で損壊しました。一部が別の場所に移築されて、個人の所有になっています……が、見るのはちょっと難しそうです。残念。さて、ここから上野公園の中に入ります。

正面に上野駅が見えます。

駅に入らずに右折。高架沿いに進むと、まもなく「アメ横」が見えてきます。2008年に閉店した「聚楽台」があった場所は、右手の「UENO3153」です。けど、そこも1959年開業なので、宮沢賢治と高村光太郎が行った店舗とは違いますよね……一体どこだったのでしょうか?具体的な断定はできませんが、大体この辺りということで、今日の検証はここまでにします。

「じゅらく」へ

あ!高架下に「じゅらく」発見。

裏に回ったら2階建てです。気になるメニューがあったのでここに入りましょう!

じゅらく100周年記念メニュー 

「累計10,000食突破!【好評につき延長決定】大正時代のレトロ洋食を現代風にアレンジした『100周年記念メニュー』!」と、紹介されていた聚楽の始まり「須田町食堂」再現メニューです。

「じゅらくの10銭ハヤシライス」を食べてみます。 創業期からの定番商品とのこと。せっかくなので今夜は時を超えて同じものを味わって締めたいと思います。

ハヤシライス、トロリとコクのある味わいですが、軽くてもたれないこの感じ。油分少なめで優しい味わいです。美味しかった♪

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