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たびのしおり、宮沢賢治三陸旅行「異途への出発」の前に

宮沢賢治と岩手

100年前の1925年、新年早々に宮沢賢治さんは三陸地方を旅しています。今回はこの足跡をレポートするのですが、その前に予備知識を共有しましょう!

1925年1月5〜9日の三陸旅行の意味とは?

「宮沢賢治」のイメージとして、童話作家とともに「教師」だったというのも広く知られているのではないでしょうか?

「百姓」になるために教師を辞めたのが、この旅の1年後で、1926(大正15)年3月31日、花巻農学校を退職、約4年4ヵ月の教員生活に終止符を打ちました。

外に出かけて授業をしたり、応援歌を自ら作曲したり、生徒に自分が脚本を書いた劇を演じさせたりと、ユニークな授業が逸話になっている一方、私生活では童話を書いて雑誌に掲載されたり、妹トシが亡くなり北の果てを求めて樺太に旅し、『心象スケツチ 春と修羅』『イーハトヴ童話 注文の多い料理店』を自費出版したのがこの4年4ヵ月です。

「金銭的・身分的に保障されている生活を捨て、農民芸術の実践を始める」という漠然とした思いから、実行を模索していた時期に三陸旅行をしていたことになります。

新年に新路線で未知の地に旅立ち、7編の詩を創作した旅路

賢治さんは、この旅の前にも盛岡高等農林学校3年の1917年(大正6)年7月25〜29日に、「東海岸視察団」という団体に加わって、三陸地方を旅行しています。この時は往復共に1915年(大正4)年11月23日に仙人峠まで開通したばかりの岩手軽便鉄道を使い、宮古までの往復です。宮古より北の沿岸部は、賢治さんにとって未知の地でした。1925年の三陸旅行では、同じルートでさらに北上するのではなく、前年、1924(大正13)年11月10日に延伸開業された八戸線を使って、北から三陸海岸を南下するルートが取られました。

この旅の様子は、7編の詩に書かれています。

現在、賢治さんが徒歩と船で旅したルートは鉄道でつながり、現地には地元の有志によって詩碑が建立され、賢治さんの旅情の一端を味わえるようです。そこでこれから現地を訪ね、レポートしたいと思います。

その前に、先行で配信するX(Twitter)でのレポートを楽しんでいただくために、地図を配布したところ「駅名が読めない」というご意見をいただきました。地図にはこれ以上書き込むことが難しいので、こちらの記事にて「駅名(よみがな)」と「詩碑の場所」をお伝えします。

X(Twitter)での速報レポートを編集して、来週の記事で掲載します。お楽しみに!

駅名(よみがな)一覧

JR八戸線

  • 八戸(はちのへ)
  • 長苗代(ながなわしろ)
  • 本八戸(ほんはちのへ)
  • 小中野(こなかの)
  • 陸奥湊(むつみなと)
  • 白銀(しろがね)
  • 鮫(さめ)
  • 陸奥白浜(むつしらはま)
  • 種差海岸(たねさしかいがん)
  • 大久喜(おおくき)
  • 金浜(かねはま)
  • 大蛇(おおじゃ)
  • 階上(はしかみ)
  • 角の浜(かどのはま)
  • 平内(ひらない)
  • 種市(たねいち)
  • 玉川(たまがわ)
  • 宿戸(しゅくのへ)
  • 陸中八木(りくちゅうやぎ)
  • 有家(うげ)
  • 陸中中野(りくちゅうなかの)
  • 侍浜(さむらいはま)
  • 陸中夏井(りくちゅうなつい)
  • 久慈(くじ)

三陸鉄道リアス線

  • 久慈(くじ)
  • 陸中宇部(りくちゅううべ)
  • 陸中野田(りくちゅうのだ)
  • 十府ヶ浦海岸(とふがうらかいがん)
  • 野田玉川(のだたまがわ)
  • 堀内(ほりない)
  • 白井海岸(しらいかいがん)
  • 普代(ふだい)
  • 田野畑(たのはた)
  • 島越(しまのこし)
  • 岩泉小本(いわいずみおもと)
  • 摂待(せったい)
  • 新 田老(しん たろう)
  • 田老(たろう)
  • 佐羽根(さばね)
  • 一の渡(いちのわたり)
  • 山口団地(やまぐちだんち)
  • 宮古(みやこ)
  • 磯鶏(そけい)
  • 八木沢・宮古短大(やぎさわ・みやこたんだい)
  • 津軽石(つがるいし)
  • 払川(はらいがわ)
  • 豊間根(とよまね)
  • 陸中山田(りくちゅうやまだ)
  • 織笠(おりかさ)
  • 岩手船越(いわてふなこし)
  • 浪板海岸(なみいたかいがん)
  • 吉里吉里(きりきり)
  • 大槌(おおつち)
  • 鵜住居(うのすまい)
  • 両石(りょういし)
  • 釜石(かまいし)

詩碑の場所一覧

三陸旅行のエリアには現在9基の詩碑があります。

  1. 普代村・堀内駅徒歩7分(まついそ公園内):「敗れし少年の歌へる」
  2. 普代村・普代駅車で約10分(黒崎展望台):「発動機船 一」
  3. 田野畑村・田野畑駅徒歩5分(本家旅館庭内):「発動機船 一」
  4. 田野畑村・島越駅徒歩2分(島越ふれあい公園内):「発動機船 第二」
  5. 田野畑村・田野畑駅徒歩1分(田野畑駅前広場):「発動機船 三」
  6. 宮古市・宮古駅バスで約15分(奥浄土ヶ浜):「寂光のはま」
  7. 大槌町・浪板海岸駅徒歩7分(三陸花ホテルはまぎく駐車場空き地):「暁穹(ぎょうきゅう)への嫉妬」
  8. 大槌町・大槌駅下車1分(大槌駅前広場):「旅程幻想」
  9. 釜石市・陸中大橋駅徒歩1分(陸中大橋駅前空き地内):「峠」

詩碑「6.寂光のはま」は、1925年の三陸旅行ではなく1917年の東海岸視察団の旅行の時のもの。そのため、今回のレポートからは外したいと思います。

リンク

今回の旅程を組むにあたり、参考にさせていただいたサイトです。