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3日目③/4:宮古〜釜石、車で宮沢賢治三陸旅行をたどってみた

宮沢賢治と岩手

つづきです。

宮古駅周辺でちょっと休憩

田野畑村から南下して、次の賢治三陸旅の詩碑があるのは大槌町です。宮古の浄土ヶ浜にも詩碑があるのですが、こちらは1917年7月に父親の代理として参加した、花巻の実業家たちの組織「東海岸視察団」の旅行で来たときのものです。今回の1925年1月の旅行とは異なるので寄りません。写真は宮古駅から徒歩15分、閉伊川河口にかかる橋。実は、東日本大震災の津波で流された、前の橋が保存されています。

宮古に残る戦争の痕跡として宮古市民文化会館の敷地に保存されている鉄橋。銃弾の痕が残っています。なんと、この橋の上をSL銀河機関車のC58239やパレオエクスプレスの機関車C58363も走っていました。

磯鶏(そけい)駅前です。三陸鉄道に乗車する際は、磯鶏駅ではお向かいに注目!

ここには蒸気機関車9625機が保存されています♪D形製造以前の国産機です。賢治さんと同時代に東北本線の急行貨物列車として活躍しました。…ということは、東山町が出荷した石灰肥料も運搬したのかな?

岩手船越(いわてふなこし)駅

南下して山田町にある三陸鉄道リアス線 岩手船越駅にやってきました。

こちらが本州最東端の駅です。実は、本州の最東端は岩手県内にあり、宮古市に本州最東端の碑もあるのです…が、今年は熊の出没が多いので近寄り難い場所になっています。

浪板海岸・ホテルはまぎく駐車場

SpecialThanks!:Photo by  momo

大槌町、浪板海岸「ホテルはまぎく」の駐車場にある、宮沢賢治詩碑「暁穹への嫉妬」です。旅の始まりに出会いたかった詩に、ようやく辿り着きました。

詩碑7「暁穹(ぎょうきゅう)への嫉妬」

詩碑「暁穹への嫉妬」は、東の海を背に建っています。ここのホテル、「暁穹ビュー」ですね。

暁穹への嫉妬
          一九二五、一、六、
薔薇輝石や雪のエッセンスを集めて
ひかりけだかくかゞやきながら
その清麗なサファイア風の惑星を
溶かさうとするあけがたのそら
           宮沢賢治

冒頭4行の美しい文章、この部分にこの詩の美しいエッセンスが凝縮されています。

2011年3月11日 東日本大震災で大槌町は壊滅的被害にみまわれ多くの貴い命を失った 生き残った私たちは亡くなられた人たち これから生まれてくる子どもたちに どう生きるかを示す責任がある 私たちは宮沢賢治の「利他の精神」がその道しるべになると考える ここに大槌と関わりの深い「暁穹への嫉妬」を建立し顕彰する

2016年8月27日 大槌宮沢賢治研究会

傍の副碑には、詩碑建立への強い思いが書かれていました。

地元大槌町で採取された「薔薇輝石」。薔薇輝石、名前の通りピンク色の石なのですが…変色したのでしょうか。

暁穹への嫉妬
              一九二五、一、六、
薔薇輝石や雪のエッセンスを集めて、
ひかりけだかくかゞやきながら
その清麗なサファイア風の惑星を
溶かさうとするあけがたのそら
さっきはみちは渚をつたひ
波もねむたくゆれてゐたとき
星はあやしく澄みわたり
過冷な天の水そこで
青い合図(wink)をいくたびいくつも投げてゐた
それなのにいま
(ところがあいつはまん円なもんで
リングもあれば月も七っつもってゐる
第一あんなもの生きてもゐないし
まあ行って見ろごそごそだぞ)と
草刈が云ったとしても
ぼくがあいつを恋するために
このうつくしいあけぞらを
変な顔して 見てゐることは変らない
変らないどこかそんなことなど云はれると
いよいよぼくはどうしていゝかわからなくなる
……雪をかぶったはひびゃくしんと
 百の岬がいま明ける
 万葉風の青海原よ……
滅びる鳥の種族のやうに
星はもいちどひるがへる

詩「暁穹への嫉妬」は、最初の詩碑があった堀内駅の1つ北の駅、野田玉川駅がある野田村のあたりを賢治が歩いている時にスケッチされたものと推定されています。野田村は薔薇輝石の産地として名高く、「マリンローズ」の名前で売り出しています。「暁穹への嫉妬」の舞台は野田村ですが、かつて妹トシの看病で東京に居た時に父親への手紙(書簡137)で東京で宝石加工業を始めたいという希望を書き送った時には、取り扱う鉱石の候補として「大槌の薔薇輝石」の名前が挙がっています。薔薇輝石の繋がりで「暁穹への嫉妬」詩碑がここに建っています。

大槌駅

本日最後の詩碑がある大槌駅にやってきました。

詩碑8「旅程幻想」

宮沢賢治詩碑「旅程幻想」です。なんと、となりには「銀泥(ぎんどろ)」の木が植えてあります。

わぁぁ、ギンドロの葉裏がふわふわ真っ白♪賢治さんの好きな木です。これ、昼間だったらキラキラ輝いたんだろうなぁ。

旅程幻想
         一九二五、一、八、
さびしい不漁と旱害のあとを
海に沿ふ
いくつもの峠を越えたり
萓の野原を通ったりして
ひとりここまで来たのだけれども
いまこの荒れた河原の砂の、
うす陽のなかにまどろめば、
肩またせなのうら寒く
何か不安なこの感じは
たしかしまひの硅板岩の峠の上で
放牧用の木柵の
楢の扉を開けたまゝ
みちを急いだためらしく
そこの光ってつめたいそらや
やどり木のある栗の木なども眼にうかぶ
その川上の幾重の雲と
つめたい日射しの格子のなかで
何か知らない巨きな鳥が
かすかにごろごろ鳴いてゐる
宮 沢 賢 治

詩碑を読んでいる間、野太い鳥の声がずっと聞こえていたので没入感がありました。宮沢賢治詩碑を巡る楽しさの1つは、ロケーションと賢治の言葉が溶け合って体感できる、この感覚を味わえるところです。

再びのこの文言。震災の中で、賢治の存在が再び立ち上がるための指標だったのだと強く感じます。

三陸鉄道の列車と詩碑。この日常がずっと続いていきますように…。

薄明(はくめい、英語:twilight)。詩碑を全て巡ったところで、空が昼と夜とのコントラストの時間になりました。私は、これから夜になる紫〜青が増えていく時間がとても好きです。

黄昏(たそがれ)。本日の行程、これにて終了です。

釜石にて

美味しいお蕎麦とミニ天丼のセットで元気チャージ!よし、夜の部行っちゃいましょう♪賢治さんの旅程は三陸鉄道の「北リアス線」(久慈ー宮古)のみですが、三陸鉄道は釜石の南側「南リアス線」(釜石ー盛)まで続いています。

盛(さかり)駅

三陸鉄道最南端、終点の「盛駅」にやってきました。三陸鉄道盛駅と、JR大船渡線盛駅が並んでいます。

おぉぉ、一面に鮮やかなオレンジの のれん!ん?この「のれん」って…

柿です!専用金具でしょうか?初めて見る金具で連結しています。

なんと、生の柿でのれんを作って、干し柿になるとお客さんに配っているのだそうです。三陸鉄道、秋の風物詩!

三陸鉄道は盛駅で終点です。

そして大船渡線…はじめて見ました。「BRT」、JR東日本のバス高速輸送システムです。東日本大震災で甚大な被害を受けた、気仙沼線柳津駅ー気仙沼駅間、大船渡線気仙沼駅ー盛駅間は鉄道ではなくバスでの復旧になったのです。走っている場所は道路に見えますが扱いは線路。そのため、グリーンのゾーン以外は立ち入れません。

陸前高田駅舎

復元された陸前高田駅舎。鉄道としては廃駅になりましたが、BRTなので「みどりの窓口」があり、待合室としても機能しています。

周囲が嵩上げされ、高台に生活が移行し、高田松原の道の駅として賑わっていた場所は、静かな祈りの場になっています。

岩手県陸前高田市出身のプロ野球選手「佐々木 朗希(ろうき)」のマンホール。この周辺はなんだか賑わいを感じられて、彼もまた地元の希望を背負っているのだなと感じました。

釜石に戻ってきました。賢治の旅はもうちょっと続きます。

つづく