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『銀河鉄道の夜』の星空は意外な県にあった!?

宮沢賢治とその他の地域

宮沢賢治童話『銀河鉄道の夜』。実は、その原点と言われる風景が「岩手県ではない」という説があるのをご存知でしょうか?本日、遂にその現場に行ってきます!

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電車に乗ってきました

2024年4月2日、ナギノが降り立ったのは山梨県の韮崎(にらさき)駅です!

韮崎駅前

わー桜が満開♪駅前がピンクのモフモフでいっぱい。かわいぃ〜!甲府盆地は、川崎より北にあるのに先に春が来るのですね。本日の相棒S氏ともすんなり合流♪

まずは韮崎駅前の「韮崎市民交流センター ニコリ」内にある「韮崎市ふるさと偉人資料館」。ここで韮崎市出身の「保阪嘉内(ほさかかない)」について学習します。

偉人として展示されている人数が多いので、紹介はサラッとでした。S氏は地元山梨県の方なのですが「保阪嘉内知らないなぁ」という反応でした。知名度はまだまだのようです。

館内は撮影禁止でした。でも、展示は「三峯山 宮沢賢治」の書簡(複製)だったので、ナギノート・パレオ探検のものをどうぞ!

銀河鉄道展望公園

岩手県民びっくりのすごい名前の公園に来ました。駅から車で20分ほど高台に上がった場所にあるのが「銀河鉄道展望公園」。「銀河鉄道」を見ることができると書かれています!

韮崎は銀河鉄道原点⁉︎

実は、保阪嘉内が中学生の時にハレー彗星をスケッチし、「銀漢を行く夜行列車のようだ」と書いたこと、それを賢治に話して見せたことが「銀河を走る列車」の着想になったとの説があるのです。 (注:今では一般用語だけど、「銀河」は賢治の造語だよ!)

ここで本日の相棒から鋭い指摘が!「韮崎駅は明治36年(1903年)に開業してるから、嘉内は夜汽車を見ながら〝夜空を走る列車〟の景色が日常化してたのかもしれないね…当時の列車は1灯だろうから余計にね。」と。おぉ…仕事は土器なのに、発言の鉄分がすごい!

たしかに、夜汽車の通過時刻がありました。その様子を見せるための「銀河鉄道展望公園」なんですね。夜見てみたかったぁ…実はここ、駅から遠くてバスも走ってなさそう。

今回、ナギノが見たいとリクエストしていた 「地蔵ヶ岳、観音岳、薬師岳」も見えています。地元では「鳳凰三山(ほうおうさんざん)」と呼ぶ、とても馴染みがある3座だそう。ふもとをJR中央本線が走っています。

公園には、賢治・嘉内の没後、岩手と山梨の交流で贈られたという「ギンドロ」の木が植えられていました。

今見えた鳳凰三山に加えて、駒ヶ岳がこの位置で並ぶ景色、嘉内はどこで夜汽車を見てハレー彗星をスケッチしたのでしょう?そここそが「銀河鉄道」の原点です♪ よーし、探しに行くぞー!

今日は相棒の車に乗せてきていただいたわけですが…代替え手段は、タクシーで来るしかなさそうです。

「ほうとう」食べよう!

探索に出る前に、お昼になったので腹ごしらえ。大きな水車が目印の「小作」です。ナギノが「山梨来たから本場のほうとう食べたい!」と、リクエスト。

中はとにかく広いお座敷!「ほうとう」は山梨県の名物の幅の広いうどんで、かぼちゃが必ず入っているのが特徴です。

おぉ、鉄鍋に入って登場!春らしく山菜がトッピングされています。武田軍の野戦食、しっかり食べて合戦の準備もバッチリ!いざ♪

保阪嘉内 宮沢賢治 花園農村の碑

さて、「東京エレクトロン韮崎文化ホール」にやってきました。ここには平成19(2007)年10月に宮沢賢治・保阪嘉内生誕百十周年記念事業で建てられた「保阪嘉内 宮沢賢治 花園農村の碑 ほんとうの幸せを求めて」があります。

ピカピカして撮りづらいですが、賢治と嘉内の名前が並んでいて、汽車の形をしています!

文化ホールはバスで来れそう♪

ホールからてくてくと嘉内の生家の方面へ向かいます。白い富士山がずっと見えているのですが、写真に写りません…

小学校を過ぎ…時折相棒が「ん⁉︎」と言っては地面から白っぽい欠片を拾っています。土器片だそうです。この辺り一帯が遺跡で、道端に普通に土器片が落ちてるのが、なんかすごいです。

ついに『銀河鉄道の夜』の原点の地を発見!

あの黄色いお花が咲いている場所が、保阪嘉内の生家です。振り返ると…

なんと、スケッチそのままの山がありました!まさしくここです…嘉内少年、上手い♪私、スケッチでこの景色見てます!!

嘉内少年は、家の敷地からハレー彗星を見ていたのですね!保阪嘉内がハレー彗星を「夜空を走る夜行列車」だと書いた場所は、家の前でした。

夢のように美しい物語が、日常と隣り合わせにあること、故郷の山を見ながらの発見であること…心友・賢治と同じ行動をしていますね。この二人が出会ったなら、意気投合して美しい物語が共鳴し合うのも必然でしょう。

『銀河鉄道の夜』の原点、始まりの現場を見つけることができました♪

お墓にも歌碑があるそうな

最後に、墓地にあるという歌碑を見に行きました。「亡くなった人は西へ向かう、だからお墓は西にある」集落の西から生者の営みを見守っています。

保阪嘉内は鳳凰三山を背に眠っています。そこには賢治・嘉内の歌碑が並んでいます。 二人の友情は、宗教観の行き違いで人生半ばで途絶えたとされています。この景色が、第三者の思惑ではなく、嘉内の賢治への想いだと良いな…と思う光景でした。鳳凰三山に向かって日が沈みます。

韮崎の由来

「韮」という字がついているのに、特にニラ畑を見かけなかったので地名が気になってしまいました。

「韮崎」という名前の由来についてですが、植物の「ニラ」は関係ありませんでした。七里岩の先端と舟山の先端がにらみ合っている間にある町で、「先で睨みあっている」から「にらみさき」で「韮崎」!

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