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パレオエクスプレス・ガリガリ君仕様に乗って宮沢賢治ゆかりの地に行ってみた<後編>

宮沢賢治とその他の地域

パレオエクスプレス・ガリガリ君仕様に乗って宮沢賢治ゆかりの地に行ってみた<前編>のつづき

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秩父駅

さて、秩父駅です。ここからは「宮沢賢治目撃情報」と「パレオエクスプレスの名前の由来」を確認しに、「おがの」という場所に行こうと思います。

バスに乗ります…えーと…バス停1つで行先いっぱい。乗り間違いが怖いパターンです。

小鹿野!「おがの」ってこういう字を書く地名だったんですね!!

15:07出発のバスが7分に来ました(笑)時間的にチャンス1回です。行ってみましょう♪

バスに乗って30分。泉田バス停で下車しました。すれ違う人は無く…かかしだけ。

バス停から歩くこと15分、真っ白な崖面とそれを背に建つ「おがの化石館」が見えました。

おがの化石館

おぉっ、恐竜?大きい!おがの化石館、館内で最初に迎えてくれるのは「パレオパラドキシア」という海獣の骨格標本です。海獣ってことは恐竜とは違うってことですよね…恐竜は爬虫類のみですので。

パレオパラドキシアは「世界の奇獣」という不明点の多い生き物、これが「パレオエクスプレス」の名前の由来です。

…カバ?ゾウやジュゴンやマナティに近い生き物で、絶滅種とのこと。

そして、ようやく本題です(笑)「パレオパラドキシアの隣、宮沢賢治だったよ」と教えてくださった方がいて、ここまで来ました。え?なんで?ってなるじゃないですか(笑)

宮沢賢治と秩父

「ようばけ(陽崖:光が当たる崖という意味)」という層が剥き出しになっている場所が目の前にあるのですが、ここに関豊太郎博士以下25人で調査に来たのだそうです。

一番広範囲に露出しているところが目立ちますが、木の生えているところも同じ層で続いていて、この連なりの「般若」という地区ではパレオパラドキシアが発見されています。

これだけ大きく露出していて近隣に古生代〜中生代〜新生代まで揃ってれば、地球のサンプルとして調査に来ますよね。解説によると「ようばけ」は「新生代第三紀」に泥が堆積…あら、イギリス海岸と一緒(笑)

岩手県東山町で地層と向き合って暮らしてきた私としましては、岩手では「最古の地層」であることをプライドに頑張りましたが…一般人としての感想は「中生代がある地域は出てくるものが派手でいいなぁ…うらやましい…」と素直な感想が出てしまいました(笑)岩手にも中生代の層が欲しかった…。

宮沢賢治は盛岡高等農林学校2年生の1916(大正5)年9月に、一級下の保阪嘉内は翌年の1917(大正6)年7月に地質調査で秩父を来訪しています。一緒に来ていないからこそ、賢治から嘉内に送られたはがきが残っています。

1916年9月2日、宛先は嘉内の実家住所。帰省しててお手紙をくれない嘉内にすねた様子から始まっていますが、博物館の鉱物に別れを告げてニコライ、大使館の桜…と賢治東京名所の名前の羅列。テンション高いです。「ウヱノスタテオーン」は、現在地+名前の法則だと「上野ステーション」の賢治語表記かなと思います。この文章、既視感があると思ったら、「大使館の桜」を調べた時に何度も読んでいました(笑)実物画像初めて見ました。

1916年9月5日、書簡で3日と置かない溺愛ぶり(笑)先ほどパレオエクスプレス往路で一通り乗ったので、地名のイメージがつくのが助けになります。それにしても、創作意欲が刺激された賢治さんの文章は、テンション上がって読みづらいです。蠍座が光っている日に、毛虫を燃やす火が印象に残ってる様子…「銀河鉄道の夜」を思い出します。嘉内のハレー彗星のスケッチが銀河鉄道のインスピレーションとも言われていますので、彼宛ての書簡であることが余計に繋がります。

1910(明治43)年、保阪嘉内が中学1年の時に、ハレー彗星が地球に接近。その時のスケッチに「銀漢ヲ行ク彗星ハ 夜行列車ノ様ニニテ 遥カ虚空ニ消ヱニケリ」(引用:トランヴェール2023年8月号)

美しい物語に繋がるエッセンス、発見です。(美しい星座と害虫駆除の景色がくっついちゃってますが…)。長瀞のことを「荒川ぎし」って呼んでる(笑)。差出人、チチブオガノ ケンジなので、ここ小鹿野で書いて出してますね。

あぁ、賢治さんは三峰山行ってるんですね。体力的に厳しかったので外しちゃってましたが「荒川の碧」の美しさ、「薄明の空」「星月夜」…長瀞以上に三峰山の星の美しさの記載の多さが気になります。後年の作品につながる星の体験が三峰山にあった可能性が出てきたので、改めて三峰山の探検に行きたいですね。ちなみにですが、パレオパラドキシアは1981(昭和56)年の発見なので、賢治さんの頃は大型海獣の出所という認識は無いのです。

盛岡高等農林学校(今の岩手大学)時代の友人、中でも保阪嘉内がなぜ抜きん出て特別な存在として見られているのか。星への眼差し、詩人であること、創作活動の果ての退学、宗教の環境、東京での復学と農学への思い…賢治さんとかぶるキーワードの多くが、嘉内もどれも激しく熱いエピソードを伴います。私もまた賢治の視点で見ていて、嘉内のことが気になって仕方ありません。山梨に行ったら何かわかるのかな?

宮沢賢治宿泊は、小鹿野の宿「寿旅館」の館主の日記で確認が取れているとのこと。

現在その旅館は「小鹿野町観光交流館」として公開されているとのことで行ってみたいなと思い、化石館の方にお伺いしたのですが、町中までは徒歩で1時間かかるとのこと。残念ながら時間的に間に合わないので断念となりました。

賢治さん、当時はあくまで無名な生徒の一人にすぎず、宿の代表者名は教授の関先生です。関先生の名前が出てきたので、最近やりとりさせていただいている関先生の子孫の方にご連絡…がきっかけで、本日一人旅なのですがお話し相手が(笑)

化石館の裏には、ようばけを背に宮沢賢治・保阪嘉内がこの地で読んだ歌の石碑。

「アザレア」の4人をイメージした4本の木…「アザレア=ツツジ」以上のことを考えたことが無かったので驚きました。これは…たった一回来ただけなのに、好きすぎです。

一通り見たあと、賢治さんのたった1回の来訪に対して手厚い扱いの謎が解けないので、受付にいらっしゃった方に伺うと、当時とても熱心な方がいたからとのこと。一人の熱意が賢治の会を結成し、石碑を建てるまでに至ったとのことでした。その最初の一人の方の愛情の熱量に圧倒されます。

泉田バス停

15分歩いてバス停に戻ってきました。

本数は無いので、逃したら大変です。

秩父駅

秩父駅前に戻ってきて18時。お祭りで賑わっておりました。ですが、体力的に今日はもうひとはしゃぎができそうになく、見送りました。

秩父駅隣接の「じばさん商店」。

「ちちぶのけずりいちご」を食べたかったのですが、18時までということで間に合わず。秩父は欲張れないなぁ(笑)長瀞エリアもかき氷店は17時までだったので、今日はかき氷とご縁が無かったようです。残念。

それでは熊谷に向かいます!行先表示は「羽生」行き、ヘッドマークはパレオくんの相方の「パレナ」ちゃん。キンキンの車内で意識が飛びましたので、これにて本日のレポートを終わりたいと思います。お付き合いありがとうございました♪

おしまい