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秋田・青森、挽歌紀行<1>計画

宮沢賢治とその他の地域

2月の終わりに私の伯母が亡くなりました。送るために岩手と往復していた時期と、仕事の繁忙期が重なった中、心の隙間に入り込んできたメッセージが「3月9,10日こっち来ませんか?」と。お金の計算もせず「行こうかな」と即答したのは、心に隙間が空いていたからかもしれません。

心の声に従い、誘われて北方遠征を入れたら、某所のレールオーナーになった相棒カナちゃんから「秋田」「青森」を入れた勇者ルートの提案が来ました。

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カナちゃんからのメッセージ

勇者コース一日目

◆カナ盛岡着 バースデー切符ゲット
◆8:48盛岡−9:35角館
 こまち一号 ¥2900
 モモちゃん乗りっぱ またはこまちへ移動
◆9:55角館−11:22阿仁合 ※鉄印ゲット
 12:15阿仁合−13:07鷹巣
 秋田縦貫バースデー切符¥1500
◆鷹巣→徒歩5分で鷹ノ巣
◆鷹ノ巣13:42-青森15:21
 特急つがる3号(要予約)¥2640
 青森で2時間遊ぶ
◆青森17:23-目時-盛岡21:05
 ¥3170+¥500
◆盛岡21:14−花巻21:51
 ¥680
 最後IGRから乗り継ぎ10分だけど頑張ればなんとか?

最早、何も考える力などなく、言われたままにハイハイOKで進んできたのですが、この行程を見て思ったのです。

「これ宮沢賢治ルートぢゃん!」

宮沢賢治さんは岩手-東京だけではなく、秋田だって青森だって行っているのです。ただ、今から「挽歌シリーズ」を読み込む時間の余裕はありません。

挽歌とは、死者をいたむ詩歌のことです。賢治さんは妹を亡くした後、魂の交信を試みる挽歌を青森・北海道・樺太の旅程の中で書いています。

せっかく行くなら、せめて宮沢賢治さんが乗った路線ですー…くらいの感覚は欲しいなぁと思い、とりあえずアトリエナギノ蔵書の1931年の路線図をパラリ。 なんとびっくり、当時花巻から秋田に行く路線は北上線しかありません!秋田行きはルート確定です。

︎宮沢賢治・秋田行き、1931年4月21・22日にセールス出張/行った先は「秋田・角館・大曲・横手」

東山町の東北砕石工場でサラリーマンをしていた時代の旅程です。書簡329(1931.4.20付)に記載があり、「秋田県庁、農会、組合連合会(秋田市)県試験場、陸羽支場、諸農学校、組合(各地)」へ合計五日間くらい 旅費計35円くらいと書かれています。35円って17万5千!?いや、よしんばレート3千円に低く見積もっても、10万5千…高っ。高いぞ出張費…身体が弱い小生でもこれくらいあればなので、試算の根拠は今の感覚で全部タクシー(当時は人力車)とか、宿一泊1万円ランクでしょうか。

ところで、パッと見県庁は今もあるので秋田市街観光を組み込もうかと思いましたが、wikiによると「1957年(昭和32年)8月12日 – 県庁舎が火災で焼失」とあったので、観光の時間は青森を多めに設定しようと思いました。

宮沢賢治・青森行き

同じ方法で青森。1931年路線図で岩手から青森駅に抜けるルートも1路線しかありません。この時点で無ければ、宮沢賢治青森行きは1923年の「挽歌」の時と1924年の北海道修学旅行引率時なので「他に無い」ことになります。このルートで青森駅まで行って、津軽海峡&連絡船発着所跡を見たいですね。

ミッション:「好摩の冬の青ぞらから落ちてきたやうな」を目撃せよ!

宮沢賢治さん青森行きの汽車ルート、気になるのが岩手側に並ぶこの駅名って「IGRいわて銀河鉄道」の駅名ですよね?賢治ルートで青森駅目指すなら、あえての「IGRいわて銀河鉄道・全線制覇」しなさいっていうお導きと受け取りました。3月に入り、川崎市では春コートで生活していますが、この辺りはまだまだ日によっては吹雪。好摩で「冬の青空」を目撃できるでしょうか!?

そういえば前回の岩手行きでも導かれるように好摩に行きました。

宮沢賢治は鉄道ファン

「宮沢賢治はなぜ青森に?」と相棒カナちゃんに聞かれ「樺太の大泊にあった王子製紙にお勤めの知人に、生徒の就職を頼みに行ったんだよ」と説明しつつ、そういえば大泊って樺太の最南端。本当にその用事だけなら+3日かけて栄浜まで行く必然性はないですよね。

wikiに「1923年、宮沢賢治が亡くなった妹(宮沢トシ)の魂との交流を求めて当時日本最北端であったこの駅を訪れたことでも一部に知られている。」とあり、1923年当時は栄浜駅が最北端だったようです。写真の路線図は1931年のものですので、延伸されたのでしょう。となると、ここで思うのが…妹の魂を追った云々以前に最北の町への乗り鉄だったのでは?と。

宮沢賢治樺太行きルートは、北海道の稚内から宗谷海峡を渡って樺太に行きます。この稚泊航路、開業が1923年5月1日。同年7月31日から樺太に向かって旅立って「挽歌」シリーズです。それ以前からも、小樽ー樺太行きの航路がありますが、料金・時間・タイミングといった他の要素を語るだけの調べが、今はできていません。

宮沢賢治さんのことを調べていると、鉄道事情とのリンクで「おや?」と思うことが度々あります。そして、賢治さんの足跡を追ってるこちらが、すっかり乗り鉄です。では、ざっくりとした下調べと計画ですが、時間なので旅立ちましょう!

つづく

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