長谷。鎌倉=長谷エリア。長谷寺・大仏・武器屋さん…etc。なんと、その中に、宮沢賢治詩碑があるらしいのです。賢治さんが来ていない鎌倉に詩碑がある…一体どういうことなんでしょう?
長谷駅はとんでもない人の数で、写真を撮るのもはばかられました。スーパー観光地です。ところが、「左折:長谷寺」で人が減り、「直進:高徳院(鎌倉大仏)」を左折したら、人がいなくなりました。
曲がってすぐ、KENJI POINT発見です。賢治さん、日蓮宗に傾倒していましたから…思えば、日蓮の『立正安国論』の舞台は鎌倉なんですよね。幕府はここですもんね。言われてみれば色々ナルホド。(石の前で独り言)
宿谷左衛門 行時 光則 邸址
宿屋行時(父)、宿屋光則(息子)。今から行こうとしているお寺が行時山光則寺なので、山号を父の名前、寺名を息子の名前からとったということでしょうか?
鎌倉って、海抜が低い中で観光地だけ突然山ですよね……ハァハァ
光則寺の解説。ここと賢治さんの関係は、法華経の心という精神論一点。しかし、わざわざ鎌倉の地に詩碑を建てていただくというのは、賢治さんへの好意に他なりません。拝ませていただきます。
門で邸内の地図をいただきました。詩碑だけではなく、植物も楽しめそうです…ん?「孔雀舎」?何かの施設かしら?
あっさり発見。あぁ、これは手帳の筆跡ですね。法華経の精神というなら、あれがあるにちがいない…
あった!やっぱり。
賢治さんが雨ニモマケズを書いた最後には、続けて南無妙法蓮華経の文字を中心とした略式十界曼荼羅が書かれています。これを雨ニモマケズに含めるかどうかは、石碑を建立する人の心の在りどころかなと。どこまでを雨ニモマケズにするかは、受け取る個人の解釈になってるのです。
宮沢賢治ノ詩…ここは賢治さんの字ではありません。そして、雨ニモマケズを法華経の精神の表現というなら、詩とは言って欲しくなかった気もします。わかりやすさのためとはいえ、この一文があることが、逆に俗っぽさを感じます。
雨ニモマケズは、1931年11月3日に病床でその時に使用していた手帳に書きつけられた作品です。賢治さん、「詩」には技巧を凝らし、心のままに書きつけるのは「心象スケッチ」と定義していたわけですから、雨ニモマケズはどっちなんだろう?と思うと…心象スケッチですらなくて、書付かも…なのです。読者がどう読むかなら「詩」でも、賢治さん「メモ!それメモだから!」という話です。
狙って作る作品が人の心を撃ち抜けるか?というと、それができないから難しいというのは昔も今も同じですね。
賢治さん、今の時代は多作でヒットメーカーな文豪のように思われてるかもしれませんが、存命中は全く売れず、作品は世に知られずでした。
のどかな庭にのんびりとしていたら、金管楽器(ラッパ的な)のような鳥の鳴き声が。なんだろうと声のほうに行ってみると!
!!!!……寺がクジャク飼ってる!?
隙間から撮影。「孔雀舎」には、本物の孔雀がいました。オスが一羽います。
クジャクって本当に美しい鳥ですよね。ちなみに、頭上ではリスが木の上をチョロチョロしています。小太りなのか、移動のたびに枝がたわみますw
雰囲気の良さにボーっとしておりました。光則寺の見所は、700年前の石牢です。奥の石段をのぼります。
素晴らしい…雰囲気が出ています。むしろ、覗き込んで誰かいたらどうしようかと怖いくらいです。
745年前の牢屋がそのまま残っているということですね…すごい!ここに、日蓮直弟子である日郎を捉えていた北条時頼側近の宿屋光則。しかし、結果として日蓮に帰依して、ここの屋敷を寺にしたというエピソード。力と財産のやり取りである「御恩と奉公」の時代に、思想で考え変えさせるなんてすごいなぁ。
帰路は、のんびりと鎌倉駅まで歩いて帰ることに。(のんびりと言うには、案外あっさり着いてしまうのですが。)御成通りで気になるお店があるのです。
左に重厚なドアが見えますよねw旧東日本銀行鎌倉支店をリノベーションした建物で、チョコレート工房+オサレCafe+インダストリアルな空気が漂う、ちょっとお高めカフェ。CHOCOLATE BANKです。イチオシは店の空気(笑)本格的チョコレート好きさんと来たいお店です。
と、チョコレートの専門性を推しつつ、チョコレートはお土産にして、モンブランいただいちゃいます。クリームで攻めるモンブラン。散歩疲れにテンション上げてくれます。さて、もうひとがんばり家に帰りましょ♪
▶CHOCOLATE BANK
〒248-0012 神奈川県鎌倉市御成町11−8
Tel 0467-50-0172