平成の時代は祝日だった12月23日。2022年は平日です。(あら予定がない!)年の瀬にやり残したことが無いか考えてみたところ、「荒川」についての理解が浅いのを放置したままだということを思い出したので、荒川に行ってみましょう!
本日の目的「荒川」を知る
荒川は東京都と埼玉県の境にあります。荒川についての資料館があるので、そこを目指します。
都内探検のお得な切符「都区内パス」
都内を移動するなら覚えておきたい「都区内パス」!23区内乗り降り自由の1日パスで760円です。今年の3月12日からモバイルSuicaで購入できるようになっていたのですが、まだモバイルで買ったことが無かったので買ってみましょう♪これも2022年のやり残し案件♪
詳細!モバイル「都区内パス」の買い方
<販売サイトはこちら>
モバイルSuica立ち上げて最下部「定期・グリーン・チケット購入」ボタンから購入します。
「おトクなきっぷ」を選びます。
切符の区間図ではなくイラストイメージなのが意外な感じですが、「都区内パス」を選びます。
確認画面。Suicaの残高からは払えないようです。ビューカードからお支払い。
「購入する」で確定です。
これで購入完了です。
モバイルSuica、最初の画面に「都区内パス」が入りました。
そして出発するのですが、スタートは「都区内パス」エリア外なのでちゃんと適用されるかな?
おぉっ!いつものようにタッチしているだけですが、引かれた金額はエリア外分だけ!紙の切符買った時にありがちな「うっかり出し忘れ」とか無くていいかも。便利です。
赤羽駅はぼんやりしてると北口に出がちなので、ちょっとまごまごしながら南口へ。わかりやすい目印がなにもない目的地なので、荒川目指して歩きます。
寒い…大寒波襲来のタイミングで川に行くってどうよ…
あ!あっちに商店街があるから面白そう。
「赤羽スズラン通り商店街」。中学校もあって賑やかな商店街です。下校中のJCが「寒いっ」って叫んでいます。風強いね。
クリスマスソングをBGMにスズラン通りを更に進みます。そのうちお会いして話せればいいなぁと思ってる人がいるのですが、せっかくならもうちょい荒川のことを知ってから会いたいのです。今日の資料館で収穫があるかわからないけど、来年への種まきです。
「テルメ末広」…銭湯ですね。変わった名前〜と思いましたが、ギリシャ語の「温泉」でしょうか?
昨日はゆず湯だったんですね。いいなぁ♪
「熊野神社」があります!
本日の収穫を祈願します。探検の収穫が運任せの時は、その土地の神様にお願いするのが良いのです。
境内の立て札を見てビックリ!「梛(ナギ)」の木です! 自分の名前なので気になります。しかも伊豆山神社は頼朝と政子のデートスポットとして気になっていた神社!そこから持ってきた梛だというではありませんか!梛の木どこ!?
伐採されてますねぇ…ガーン。伊豆山神社と熊野大社に行けというお導きでしょうか。
テンション上がったり下がったりしましたが、熊野神社を抜けたら川っぽい道に出ました。
ようやく目的地の名称が!
川の向こうに荒川知水資料館が見えます! 今の荒川は人の手で作った人工河川なので、その経緯を展示してあるにちがいない資料館です。
新志茂橋を渡ります。
右の遠くに見える道路は以前探検した辺りだろうなぁ…と。
以前の探検。
宮沢賢治、親友の保阪嘉内・恩師の関豊太郎教授と荒川工事中の場所(今は川底)で花見をしてかけがえのない時間を過ごした…という現場を見に行った探検です。
ナギノートが荒川調査中の理由は、今の荒川を作り出すために、桜の一大名所が川底に沈められたことに関係します。
その桜を仕事の一環で植樹していたのが宮沢賢治の恩師「関 豊太郎(せき とよたろう)」。盛岡高等農林学校時代の先生であり、クーボー大博士のモデルとも言われています。
賢治さんが東京家出時期に親友の上京タイミングで3人で花見をします。その場所が今の荒川の川底で、もうすぐ失われる桜並木を愛でたとのこと。
荒川と隅田川について知識がないと理解が難しいと思った案件でしたねぇ。なので、本日は荒川の勉強です。
荒川知水資料館(amoa)
ようやく目的地に到着!行ってきます。
を、入り口から100年前との繋がりを感じる表示♪
主に月曜が休館日です。
館内温かい!
この資料、無料配布物だったのですか!(ガーン)
荒川放水路工事の歴史コーナーにたどり着くまでで1時間半経過。現在の周囲の様子や、そもそもの東京の地形といった解説を立体模型などで見てきました。
明治時代、放水路開削以前の荒川。細い河川がぐにゃぐにゃしているのを、堤でガードする治水工事。前回の荒川探検は茶色で強調されている堤防周辺、今居るのは上流(●部分)です。
大正時代、放水路開削工事中の荒川。バイパス道路のように掘られている様子が見えます。
昭和。荒川放水路に水が流れ始めています。この時点で放水路に「荒川放水路」、もとの荒川には上流に「荒川」・下流に「隅田川」の名称が見えて混在しています。
荒川掘削工事が始まったのは明治期。放水路建設のきっかけとなった大洪水の様子が写真で多数残っています。
江戸の町が水に浸かっております。
この時代の絵葉書って、楽しい名所だけではなく事件や災害まで絵葉書にしちゃってるんですよね…興味深い。ほんと、大好きです♪
1910年(明治43年)から20年工事して、完成は1930年(昭和5年)。大正時代はずっと工事中です。工事期間長い!計画から完成まで20年です。
こんなに工事長いと「本当にできるの?」って思っちゃうんじゃないかな。 賢治さん達の花見は1921年(大正10年)の4月中旬。失われる桜並木を仲間とお手植えした関先生としては、治水の必要性は承知しつつも、長引く工事に水没してしまう桜をもう少しだけもう少しだけと見続けたい思いもあったんじゃないかな?と、思ってみたり。
工事開始の頃の模型に桜並木がありました。ここが桜の名所だったという名残を見せてもらえてホッ。
あら!展示室を出たところで配布している防災パンフレットに思わずニヤリ。「雨ニモマケズ」って書いてあります。今日の探検に直接の賢治要素はゼロだと思っていましたが、こんな形で不意打ちされました♪賢治さんは荒川関係者ですから、雨ニモマケズしちゃってください!
外に出て新旧岩淵水門をパチリ!
今日学習したこと。
この水門より下流が今の隅田川(旧荒川)。もともと隅田川は入間川の下流部分の呼び名で、江戸時代に荒川を入間川にくっつけて隅田川も荒川に。1930年(昭和5年)荒川放水路完成後は、放水路が「荒川の本流」に定められたので、旧荒川が隅田川になった。隅田川にしてみれば、途中の合流で一時的に荒川になり、荒川放水路の完成で隅田川の名前が戻ったことになります。「隅田川」と「荒川」、どちらを指しているかは時代によって変わるので要注意です。
余談ですが、下流の「あらかわ遊園」は今は隅田川のほとりにあります。1922年(大正11年)開園なので、当時は隅田川は「荒川」でした。荒川のほとりに造った「あらかわ遊園」でしたね。
荒川放水路、今の「荒川」です。こうしてみると大きな川です。こんな大きな川を作ったのすごいなぁ。川の向こうに埼玉県川口市の街が見えています。さて、帰りますか!「都区内フリーパス」なのでJR一択。赤羽駅まで戻ります。
館内の地図によると、最短ルートはスズラン通り商店街を出て左折だったらしいです。でも銭湯と神社が面白かったからオッケー♪いい探検でした✨