首都圏の人と旅する秋の岩手観光<1>のつづきです。
よし!束稲山越えて東山行くぞー! pic.twitter.com/vS22Lt6cdH
— ナギノート (@naginote_tokyo) October 1, 2022
ふー…知ってる道とはいえ、最初の計画では無理があった…ここから厳美猊鼻両方は半端になりそうなので、山越えして東山いっちゃえぃ。 (注釈:厳美渓と達谷窟を諦めた)
お腹すいちゃった……あ!
ここにしよっか。
中尊寺は関山。登山ですよ…。疲れちゃったからセルフスタイルのわんこそば食べまーす♪
束稲山(たばしねやま)越え、助手席のもちゃこちゃんが感激したほんにょ達!
ほんにょ〜 pic.twitter.com/0bR6sq4NuW
— ナギノート (@naginote_tokyo) October 1, 2022
石と賢治のミュージアム
平泉町とは山を挟んでお向かいの、一関市東山町「石と賢治のミュージアム」に到着。
最初の見所は陸中松川駅から続く、オブジェのトロッコ道。「月夜の電信柱」をイメージしています。
向こうに宮沢賢治さんもお勤めした「東北砕石工場」が続くのですが、先にこちらの「太陽と風の家」を見学します。入館料は大人300円(公営)。
じゃーん!館内入って、まず気になってしまうキラッキラの鉱物展示室。
この特注ライトボックス展示ケース、忘れもしない○年前に私が黙々と組み立てた組み立て式です。
大きな透石膏の標本も健在。地震によく耐えております。
中央のタンザナイトの隣に深いブルーのラピスラズリが鎮座しています。瑠璃色にパイライトの金が輝いて、SL銀河のような石です。
石と賢治のミュージアム鉱物展示室、年々鉱物標本は増えているようで、見たこと無い標本が増えております。とにかく点数が多いので、この部屋だけで時間がどんどん過ぎていきます。
「貝の火」らしい赤い遊色の入ったオパールの標本が目を引きました。綺麗なのですが…遊色が上手く撮影できず伝わりませんね。
個人的に一番お気に入りの、でっかい「天青石」標本。こちらは実物を見る機会があったら是非にしゃがんで覗き込んでください。標本の上にも穴が空いていて、そこから光が入って青く透き通るので、晶洞に入り込むような錯覚をするのです♪
こちらの展示室では宮沢賢治氏がセールスマンをしていたことに驚きつつ、当時物のトランクや電子顕微鏡に驚いてください。賢治さんは37歳で結核で亡くなる2年前、ここのミュージアムで保存されている建物「東北砕石工場(とうほくさいせきこうじょう)」に勤めていました。
工場長・鈴木東蔵(とうぞう)の人柄、男として一人前にしてやりたい賢治さんの父親の思惑、自分自身で成し遂げたくて病弱な身体を顧みずに東奔西走してしまう賢治さん。結果、東京で倒れてしまい、全てを失った絶望の中で手帳に「雨ニモマケズ」を書きつけるに至る…その資料が展示されています。
倒れた後に書かれ、翌年発表した作品、童話「グスコーブドリの伝記」は、主人公に賢治さんの姿が重なります。
稗貫農学校の先生だった時に修学旅行に行って石灰岩の粉末を肥料として売ってるのが印象に残ったことが書かれています。「あ、だから北海道行きたいのね?」とピンときたもちゃこちゃん。ナギノート読んでくれてありがとうございます。
賢治さんのセールスマンとしての名刺と契約書。金額としては高額なのですが、石灰肥料現物支給なのです。「きちんと雇われている」ことを形にしているのは、賢治さんのお父さんの介入です。
チラシの文章も賢治さんが作っています。これも賢治作品ですよね。
攻めたキャッチコピー「他の及ばぬ甚大なる効力」や本文も賢治さんが考えたもの。前のめりな姿勢が覗えます。
「石と賢治のミュージアム」はアーティスト小林健二氏との縁も深く、昭和初期の電子顕微鏡の岩石のプレパラートが健二氏によるものであり、暗室には代表シリーズである「土星装置」の初期のものが展示されています。
「石と賢治のミュージアム」光る石の実験装置。見た人を石沼引きずり込む石好きホイホイです。引き込まれる解説だったので、動画撮影させていただきました♪
— ナギノート (@naginote_tokyo) October 1, 2022
実験は続きますが、あとは現地でご覧ください。 pic.twitter.com/Ll9fihaUxg
「太陽と風の家」を出てトロッコの道を工場に向かって進みます。一部だけトロッコが再現されています。乗れます♪
途中に「これらは素樸なアイヌ風の木柵であります」詩碑があります。右上にヒビが入ってしまっていますね…
詩碑については、再び浜垣さんのサイトをご覧いただければと思います。
すごい迫力の昔の機会があちこちにそのまま残っています。東北砕石工場は1924年(大正13年)〜1978年(昭和53年)まで操業していましたから、賢治さんが亡くなった後にも投資して機械が大規模になっていきました。
「石と賢治のミュージアム」の全体地図です。線路沿いに細長く広いので、大船渡線に乗ってると「あれなに?」と目を惹く場所になっています。
このアングルで見る工場の形が大好きです。左からの視線がとても気になります。
改修を経て再び公開されている東北砕石工場。当時の建物が残っています。
改修で新しく作られた入口は、むしろ賢治さんが働いていた頃の事務所の入り口を彷彿とさせます。
「登録有形文化財」のプレートがついたこの石が石灰岩です。これを砕くと肥料になる。それを作っていた工場です。
石と賢治のミュージアム、東北砕石工場内部です。
かつて石灰を採掘していた坑道。私も案内で中に入ったり探検したりしましたが、現協力研究員の鈴木氏が子どもの頃に学校終わりに友人と来て「入れてください」って探検していたなぁ…という思い出の場所です。コウモリが住んでいたり、石垣のような石の積み方をしていたり、水が溜まっているところもありました。
綺麗に整備され安全柵が付いて坑道に入れなくなりましたが、案内図がつけられました。むしろ、坑道を探検できてた頃にこの地図欲しかったなぁ。
人形で再現された実物大の宮沢賢治と工員達の像は健在。引き続き夜の名所です♪
初めてここに来たのは、友人と「夜見ると不気味な人形がいるから肝試し行こう!」でした。前に座ってるお二人の間に座って写真を撮るのが定番のスポットでしたが、後ろの魚屋さんのお股に蜂の巣があって、本当にゾッとしたことを思い出しました。思い出が多くて、お人形さんたちが懐かしい知人のようです。
石と賢治のミュージアム紹介動画
つづく