SL乗車レポート 2023まとめはこちら

宮沢賢治の足跡

宮沢賢治と岩手

盛岡駅を散策してみた

天昌寺町、盛岡車両センターのあたりに行ってみたのつづき 岩手県に来ています。新幹線で下車してすぐ改札内でさんさ踊りスタンプを入手しましたが、盛岡駅は「時間がなくて4つは無理だった」というコメントをよく見かけます。せっかくなので、ぐるぐるして...
宮沢賢治と岩手

イーハトーヴ行きのご案内〜H5系はやぶさに乗って東京駅から盛岡駅まで〜

イーハトーヴは宮沢賢治の造語で、幻想世界における岩手県です。表記としては「イーハトーヴ」「イーハトーブ」「イーハトーヴォ」「IHATOV」といった違いが出てきます。 世の中に出た『注文の多い料理店』の広告だとイーハトヴですね。「正しい表記は...
宮沢賢治と東京

国中会館はどこだったのか?

宮沢賢治さんが1921年(大正10年)に家出して通っていた国中会館。上野にあると思い込んでいたのですが、要伝寺のブログに書かれている一文に「え?そうなの?」と驚き、とりあえず行ってみました。 要伝寺ブログの一文 国柱会館は、当山(要傳寺)と...
宮沢賢治と東京

阿部孝 止宿先 谷中茶屋町とはどこか?

宮沢賢治と谷中茶屋町 1921年(大正10年)1月23日に家出して東京に住んでいた宮沢賢治さん。生涯5度目の在京時期のことです。早春、阿部氏に会いに行った場所が『谷中茶屋町』です。こちら、賢治さんの下宿先と帝国図書館の間あたりの徒歩圏です。...
宮沢賢治と東京

旧上野図書館(帝国図書館)に行ってみた

1921年(大正10年)1月~8月。賢治さん、家出して東京に住んでました。主に東大赤門前の文信社で働き、菊坂に住んで一日300枚ペースで童話・詩歌を書き、上野図書館で勉強し、鶯谷の国柱会館に通う生活。菊坂~鶯谷の「賢治ロード1921」(と、...
宮沢賢治と東京

神保町~御茶ノ水と賢治2015

2018年に「神保町~御茶ノ水と賢治」として歩いた工程が、賢治さんにとって重要だった「水晶堂」も「金石舎」もかすっていなかったことに「【まとめ】賢治の東京における足跡」を書いていて気づきました。あちゃ~ 2015年に歩いた神保町~御茶ノ水と...
宮沢賢治とその他の地域

賢治風味0.1%で大船観音寺に行ってみた

注:0.1%は、開封の瞬間「ん?匂った?気のせい?」程度の風味付けです。廉価なスナックのマツタケフレーバー程度の認識でお願いします。 色味抑え目ノートになりました。いつもは乗り換えの大船駅で下車します。 大船駅…エ!? 改札出て、すごくウエ...
宮沢賢治とその他の地域

賢治風味0.2%で鎌倉の稲荷&御成に行ってみた

注:0.2%は200mlのコップ一杯の水に醤油が一滴入ってしまい、「ん?んー?」と気づく人には何か気配を感じる程度ですので、ほぼ無いものと思っていただいても差し支えありません。 始まりはお弁当 鎌倉に出かける日の朝、娘さんも遠足なのでお弁当...
宮沢賢治と東京

高村光太郎が住んでいた千駄木に日暮里駅から行ってみた

今回、マップは上の方だけスルスル~っとなぞってますが、2時間半のお散歩です。下部には根津神社・上野公園といった見所地帯なのですが、今回は行きません。 高村光太郎 彫刻家・詩人・歌人 花巻温泉に疎開している高村光太郎の写真。教科書で習った『道...
宮沢賢治と東京

賢治、大田区でチェロを3日習う

今回、跡地が一般住宅な上に、周辺も住宅街だったので写真少な目・文字多めです。 「東京にチェロを習いに行った。」「3日チェロを習った。」 賢治さん、チェロを東京に3日間習いに行っています。このエピソードを初めて聞いた時は、耳を疑ったのです。楽...