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須田町食堂に行ってみた

宮沢賢治と東京

久しぶりに鉱物標本を購入しました。ものすごく透明なのに、この結晶はなんなんだろう?と興味を惹かれた標本です。中国産のカルサイト(方解石)とラベルに記載されていて、新着とのこと。コロナで海外から標本が入って来づらかったのか、なかなか目新しいものに出会えなかった中で久々に食指が動きました。

もう一つ、こちらもカルサイトです。

透明な鍾乳石状のカルサイトはドイツのものと思っておりましが、こちらは中国産。くねくねしています。弱いながら蛍光するとのことでこちらも即決で購入しました。

子どもの時から鉱物が好きで、鉱物が沢山出てくるから宮沢賢治作品に興味を持ったのですが、その経緯を時々忘れそうになります。賢治さんがサラリーマンをしていた東北砕石工場がある東山町は、石灰の土壌で、山を挟んだ岩手の他の地域とは特性が違う特別な場所でした。

大理石はでているけれど、カルサイトは出てないよと言われていましたが、同じ成分で関係があるということでミュージアムにはカルサイトが多数展示されていました。

石が好きなら石に関係した仕事がしたいと思う気持ちは当たり前にあると思うのです。私も思いましたし、「石ッコ賢さん」と呼ばれるほど石好きだった賢治さんもそうだったでしょう。「石に囲まれて仕事したいな〜何かないかな〜」って思ったら、それ、賢治さんと一緒です。

賢治さんが東京で石に関係した仕事を考えていた場所は神保町だったようですが、本日私が鉱物を購入した場所は御徒町です。今は宝石や石といえば御徒町ですが、大正7年あたりは違かったのかな?と気になるところです。すみません、疑問だけです。

次の角に2k540 AKI-OKA ARTISAN(ニーケーゴーヨンマル アキ・オカ アルチザン)!2010年12月10日開業で、職人的なクリエイターによる店舗の集合エリアという紹介を見て気になっていたのですが、ここでしたか。

名前も凝っています。「2k540」東京駅から2,540m=2k540m付近にあることを示し、「AKI-OKA」は秋葉原と御徒町の中間、「ARTISAN」はフランス語で「職人」だそうです。

こだわりの商品が並ぶ店舗をハシゴしながら向かう先は秋葉原駅方面。前方に浅草凌雲閣(浅草十二階)のような建物が見えてびっくり。知らないうちに再建されていたのかと思いました…。

秋葉原駅に近づいたところでお茶でもしたい感じになり、ならば!と思ったのが須田町食堂です。
以前に万世橋周辺を探検した時に賢治さんが「東京」ノートに書いた食堂が須田町食堂という外食チェーン聚楽の元祖の店舗だった説があることを知りました。

一九二一年一月より八月に至るうち
大正十年

公衆食堂(須田町)

あわたゞしき薄明の流れを
泳ぎつゝいそぎ飯を食むわれら
食器の音と青きむさぼりはいともかなしく
その一枚の皿
硬き床にふれて散るとき
人々は声をあげて警しめ合へり

当時は東京名所の案内にも掲載されていたという須田町食堂。現在、須田町には無いのですが、秋葉原UDX内に復刻された「須田町食堂」があるのです。

秋葉原UDX。JR秋葉原駅電気街口から「アキバブリッジ」を通って徒歩3分。
レトロ感が素敵な洋食屋さんです。

あれ?大正13年創業…?

賢治さんの「東京」ノートは大正10年。これは公衆食堂=須田町食堂の説が崩れてしまった…?

……あ、でも美味しそうだから食べよう!

ハンバーグにしてみました♫

もちろん須田町特製デミグラスソースをチョイス。

デザートはフォンダンショコラ&クレミア。こちらは今時♪

万世橋に寄ろうと思ったら、一本道を間違えて神田明神へ。今年も早詣〜♪

軌道修正して…見えてる橋が万世橋です。

旧万世橋駅、本日も賑わっています。

大正初期、初代万世橋駅ジオラマ。

関東大震災で焼失してしまった初代駅舎。広瀬武夫海軍中佐と杉野孫七兵曹長の銅像が目につきます。沈みゆく船で部下を探しに船に戻り、砲弾を受けて死んだ中佐。軍神として祀られ、大分県竹田市に神社があるそうです。

さて、新日本橋まで歩いて帰りますノシ