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吉祥寺と賢治

宮沢賢治と東京

今の吉祥寺と宮沢賢治というと、イメージ的に自然に結びついてしまいますが、当時は郊外の武蔵野丘陵。吉祥寺駅はありました。中央線、すでに汽車ではなく電車で都内まで往来してるんですよ。

深沢紅子(ふかざわ こうこ)著「追憶の詩人たち―深沢紅子随筆集 (1979年)」に、賢治さんの訪問を受けたことが書かれています。

追憶の詩人たち―深沢紅子随筆集 (1979年)

一ぱいの水――賢治との出会い

それはそれは暑い日の真昼のことでした。昭和六年、当時武蔵野の吉祥寺に住んでいた私の家に、つめ衿の白い麻の服を着た人が訪ねて来ました。
「宮沢ですが、お隣の菊池さんが留守ですから、これをあずかってください」
 新聞紙にくるんで細いひもを十文字にかけた平たい包みを二箇、さし出されました。それが、この本を書いた宮沢賢治だったのです。
 おとなりの菊池武雄さんというのは、賢治と同じ岩手県出身の画家で、賢治とは早くから親しく、賢治の最初の童話集、『注文の多い料理店』のさしえを描いた人です。その菊池さんとは、私達夫婦も非常に親しい仲なので隣り同士に住んでいました。その日の宮沢さんの頬は少し赤く見えました。私は暑さの為だろうと思い、またその頃の吉祥寺は東京市街からは一時間以上もかかる所で、家にもあいにく誰もいませんでしたが、お上がりになって少しお休みください――と申しましたが、宮沢さんは、「ここで水をいただければ結構です」と言われ、玄関に立たれたままでした。 ものの十分、私が宮沢賢治に直接に会ったのは、この時ただ一回きりですが、このあと間もなく何度目かの発病で、神田の下宿先で倒れられ、二年後に亡くなってしまわれました。
 さて、夕方帰宅された菊池さんは、残念がりながら、いったい何をおいて行ったんだろうと、早速二つの包みを開いてみる事になりました。小さい方の包みからは、江戸時代の絵草紙が出て来ました。もう一つの方は大盤のレコードでした。菊池さんは「何で俺にこんなものをくれたべなあ」とお国なまりで独り言を言いながら、とも角もそのレコードを聴く事になりました。どこの国かは忘れましたが、日本製ではない、べートーベンの第九交響曲だった事を覚えています。
 賢治より八年おくれて盛岡に生まれた私は、同じ風土の中に美しい北国の春を迎え、夏は北上川の川原に遊び、秋祭りには、勇壮典雅な鹿踊りに魅せられ、そして厳しい冬は、雪の山々に囲まれた街のお城の堀の氷で、下駄スケート。遊びほうけていると、短い冬の太陽はあっと思う間に南昌山に沈み、岩手山の左片側だけが異様に輝く。
 岩手山は姿美しく、盛岡から眺める距離が程よいので、あの山の辺りに育った人にとっては、心のささえであり、石川啄木の歌にある通り、ありがたい山なのですが、ことに凍りついて、ギンガギンガと輝き、いいようもなく荘厳な岩手山、それは冬の朝の光景です。賢治はおそらく夏も冬も、毎朝先ず岩手山を眺めたにちがいありません。
 菊池さんだけではなく、私の身辺には、賢治を直接知っていた人が沢山いました。私の父は賢治のお父さんと、信仰上の友達でした。賢治が清養院というお寺に泊っていたころからよく知っていました。父はある時、「花巻の宮沢さんの息子さんは、非常によく出来る人なそうだが、ひまさえあれば山ばかり歩いているそうだ」と言っていました。また、中学校の同じ寄宿舎にいたという友達は、「宮沢さんは、階段の下のランプ置場で、いつもだまってランプのホヤを磨いていた」
 同じ友達がこんなことも言いました。「その頃盛んに和歌をつくっていた。百首(五百首ともきいたように思います)たまるごとに紙筒につめて、岩手山に埋めに行った」一年に十度以上も岩手山に登ったという時代なのかもしれません。
 最後に宮沢賢治といえば、きっと赤い鳥の鈴木三重吉先生のことが思い出されます。菊池さんにたのまれて賢治の童話の原稿を、三重吉先生に持って行った事があります。それはついに赤い鳥には載りませんでしたが、思い出すのは、その原稿を読まれた後の三重吉先生です。大きな辞書を何冊も部屋いっぱいに広げて、賢治の使う方言以外の言葉の語源を調べておられました。「彼はモンゴル語も知っているんだねえ」と言われた事が耳に残っています。

賢治さんの目的は、友人の菊池武雄を訪問すること。 武雄が不在だったため、隣家の深沢紅子に新聞紙にくるんで細いひもを十文字にかけた平たい包みを二箇預けます。 賢治・武雄・紅子。共通は岩手県出身です。

吉祥寺駅北口(井の頭公園が無いほう)を出て東急百貨店を目指します。 東急百貨店を挟んで平行に昭和通り大正通りがあります。

どちらでも目的地に着くので、私の趣味で大正通りを歩きます。

住宅街です。不意に、8つ目の曲がり角で、左を見ると、家が途切れているところが見えます。

むかって右の駐車場が深沢邸跡。

深沢邸は駐車場になっていることもあり、全く面影がありません。

左の野田南公園が菊池邸跡です。

菊池邸も特に表示などないのですが、なんかこう、見ていると。。。公園にしては不自然な植樹の配置。

もしかして、菊池邸の「門的な」または「玄関の両脇」に植えてあったケヤキではないでしょうか。

気になったので、武蔵野市役所に問い合わせたところ、「公園になった時に既にあったもので、元の所有地にあった」との記録があったとのこと。 菊池邸の庭木だったことは確定です。

どこかから菊池邸の写真や間取りが出てきたりしないのかな…?などと思いつつ、樹木の配置から家の姿を妄想します。

通りから入って、アプローチ。ケヤキの間を通って母屋の玄関。カラカラカラ……「ごめんくださーい」。 なんだか、樹と樹の間に建物が建ってそうな気がする雰囲気は残っていました。

昭和通りを駅に向かう途中で、一本逸れて吉祥寺プティット村というなんともファンシーな一角を発見。

その中のTEA HOUSE はっぱというお店に入りました。

小上がりやおむつ替えシートが完備の、子連れに優しい設備がありつつ、なんとも可愛らしい雰囲気のお店。

女子にちょうど良い量ですが、お子ちゃん連れだと、子どもにパンやスープをシェアできるので、これは良い♪ やさしい味なんだけど、これ、子ども食べそうよ。 いつもは同行大人限定の賢治散歩ですが、吉祥寺は子連れ可能。(本日、年長さん同行してました。)

野田南公園を走り回り、はっぱでもりもり食べ、その後は井の頭公園。 子どもは子どもで楽しんでおりました。

もりもり。おしまい。

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改訂版 東京よりみちノート ([バラエティ])
今回のノートは、ひとり東京さんぽ withよりみちノート (よりみちムック)に付録としてついていた、ちょっとだけ範囲の違うマップの東京よりみちノートです。

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