「岩手民報」大正4年3月20日3面“音楽教師と二美人の初恋”
新聞「岩手民報」3面に3日間にわたって連載された記事です。
音楽教師と二美人の初恋
▷貴美子は秋田県生れで
▷日曜の登校が相思の基
H学校の春木正夫(25)と言えば県下各学校中の最も肉声のよい音楽教師として、その名を知られている。
実際 彼が楽壇の人となってオルガンの真白き鍵にふるる十指の動くにつれて歌い出す時、何人も恍惚として聞き惚れる程魅力を持っている。彼はあえて美男子という程でもないが、昨年の春、上野音楽学校を優秀なる成績をもって卒業後、直ちに本県市内H学校の音楽教師として赴任以来、声楽ばかりでなく器楽にも堪能な春木先生は「特に習いたい」と言う生徒に対して、一日ごとにヴァイオリンの教授をしていた。
好きに憧るる女生徒の数ある中に、園田貴美子(ふみこ)とて、その名もいとゆかしきに、先生が心づくしの教練の甲斐あって、衆に抜んじてよく弾いた。そして、たとえ日曜でも必ず登校して余念なく先生に教えを受けていた。 貴美子は秋田(県)の某財産家の娘で、にくからぬ花の蕾もはやふっくらとふくらんで一夜吹く風の荒まじからんには無理にでも咲出でん風情なるに時折はハアルトとソフラのコークスの音さへ漂うことのあるに、いかに師弟の仲とはいえ、いかに同一趣味の道を歩む二人とはいえ、よその見る眼には羨めしくも、また怪しまるるまでに師弟の愛が濃か(こまやか)であった。
ましてや、詩に歌に憧るる二人の、ことに日曜など人なき室に相対して弾くヴァイオリンの音も物言いがちに、いつしか嬉しき恋の捕虜となってしまった。貴美子が遠く本県(岩手県)の学校に入学するに至ったその半面には幾多の物語りがあるけれども、それは他日に譲るとして 貴美子と共にH学校の三美人と謳われた女が二人あった。一人は花澤文子(ふみこ)といって今年十九。もう一人はこれも文子と同い年の夏子(なつこ)といって三人組とまで謳われた二人の花の顔は、真に人を欺くものがあった。二人とも市内の生まれにて、ことに文子は盛岡にも相当に名を知られた財産家の末っ娘だったので、両親の愛しみは格別なもので、まだ学校通いの斯様のことのあるべしとは露いささかも思わぬ両親のただ可愛い可愛いで何一つの不自由もない気楽な生活をさせていたが、通学の朝に帰りに行き遇う若い男の眼の色にも、それと知る文子の心の中には恋人にさえ秘めに秘めた恋の炎が焔々と燃え上がっていた。
その恋の炎の主こそ、誰あろう、同じ想いに憧るる、貴美子が相思の間柄なる春木松夫(はるきまつを)その人。
今日は音楽の教授として教壇に立ち、明日はヴァイオリンの先生として相対する春木松夫その人であった。
その日その日の放課後、楽しき友との誰彼と打ち連れて家に帰れば、これという用事もなき身の算術読書と復習に疲れた夜の心に浮かび出づる、優しい先生の教壇に立った姿、凛々とした眼つき、絶えずニコヤカに微笑んでいる口元・・・・様々に思いを馳せては懐かしさに耐え難い難い心のほつれた鬢の毛をかきあげようともせず、机の上に面を伏せたまま、ジッと深い物思いに打ち沈むこともあった。
(つづく)
本文解説
無記名の記事です。そのせいか、校正が甘く、誤字脱字が多いです。活版の漢字の文字が足りなくて、代用しているのだろうか?とすら思います。
トシさんは花澤文子(ふみこ)という仮名で書かれていますが、人物の表現から自ずと「宮沢トシ」を連想させる書き方になっています。H学校在籍の盛岡にも相当名の知を知られた財産家の末娘。
宮澤家の親の話を出すあたりが悪意を感じます……宮澤家、微妙な感じです。
トシさん云々は置いておいて、この記事を読み物として読んだ感想。
今の社会性のある報道媒体としての新聞というよりは、週刊誌的な内容です。
勝手にモデルにされて、破廉恥な妄想を掻き立てられたモデルは迷惑ですが、
今読んでも興味を持てるに十分な、登場人物のわかりやすいキャラ立てがしてあります。
このまま少女漫画になりそうよ(笑)
女子高に「貴美子(ふみこ)・文子(ふみこ)・夏子(なつこ)」仲良し3人トリオ。作者はよほど「フミコ」というお名前が好きなのかもしれませんが、フィクションならば不要な混乱を避けるためにも、被るのはNGだと思います。
その中でも、貴美子・文子・夏子は「学内3美人」と言われています。
さらに、貴美子と文子は盛られます。
貴美子は、なにやら訳ありで越境してきた秋田美人。実家は金持ち。
秋田美人ブランドは大正~令和まで健在です。すごいな。
文子は盛岡でも有名な金持ちの娘で学内一の秀才。
盛岡が比較に出てくるから、Hは花巻ですね。
平成の学園もの少女漫画だと、主人公ポジションはこの3人に憧れる後輩、もしくは、特技で他の二人に若干劣る夏子(一応美人)でしょうか。他に、3人の先輩を貶めようとする新聞部部長的なポジションが必須です。この新聞部部長ポジションは、明日の記事に出てきます。M子。
さて、貴美子と文子が同じ男性を好きになります。
その人は男性新人音楽教師「春木正夫(まつを)」。文後半は「松夫(まつを)」。主役級ながら、雑な間違いをされています。どっちなんでしょう。記事3日分で数えてみますと、男性新人音楽教師の呼び方は「春木正夫」「春木松夫」「春木先生」「先生」の4種類。他に先生の登場人物は校長先生だけなので、「先生=春木マツヲ」なのです。
・正夫:1回(初日記事のみ)
・松夫:2回(初日記事のみ)
・春木:5回
初日に漢字を違えて3回フルネームが出ただけなので、正直、雑な感じが否めません。他にも多数、疑わしい誤字脱字。あんまり深追いに意味がない漢字がします。……読者にとっては、文子が宮沢トシという前提なら、春木先生も鈴木竹松だから……ということかもしれません。
平成の少女漫画だと、なんの取り柄もない主人公夏子が正夫とくっつくと思うんですが、
大正初期はどう展開するやら。
資料について補足
漢字は現かな漢字に変換打ち換え。
(例:居る(をる)→いる。など、読みやすさ優先で主観変換してますので、ご注意ください。大正の文章の雰囲気を生かしながら、訳文が必要ない程度の読みやすさでいじっています。「、(読点)」「。(句読点)」も当時と今では用法が違っているので、今様で打ち換えています。)誤字だと判断したものも打ち替え。
原文主義の方、画像でどうぞ。
新聞は社会・文化両面からその時代を反映している歴史的価値の高い資料です。
地方紙は、郷土資料という意味も持つので、地方の図書館が地元発行誌を保存しています。 しかし、新聞はかさばる上に紙の状態をキープするのが難しい資料です。(明治の発行のものだと、古新聞を百年以上とっておいているわけですから……)
岩手県の公立図書館では各館で分担して地方紙を保管しています。
資料の形態も3種類。
・原紙(新聞そのもの)
・マイクロフィルム(新聞をフィルムにしたもの)
・縮刷版(新聞を縮小して冊子にしたもの)
水沢図書館で勤務していた時に、閉架図書(倉庫みたいなところです)で岩手日報(いわてにっぽう)と胆江日日(たんこうにちにち)の原紙が平積みで保管されているのを見ていました……が、……触ると顔がかゆくなるので、原紙を触れる立場だったのですが、マイクフィルムを愛用していました。
縮刷は字が小さいので、手軽だけど判読が厳しい時があり、判読のためにタイムロスを食うのが嫌だったので、マイクロフィルムが最適解でした。
そのマイクロフィルムですが、時々、白く飛んでいて文字が抜けている部分があります。「なぜここの文字が無いのか?」という原因は、原紙を見ないとわかりません。そもそもの印刷の状態が悪いのか、シミなのか、破れなのか……何度か記事が欠損していて原紙と付き合わせたのですが、「マイクロフィルムでは欠損してたけど、原紙ではわかった!」という体験は特になく、マイクロフィルムは最善を尽くしていたんだなぁ……と思う体験があったために、今ではマイクロフィルムで飛んでても「じゃあ原紙を見せてくれ!!」というテンションになれておりません。今回は、3/22の記事に一部欠損があるのですが、原紙を確認できる状態でないのでマイクロフィルムで判別の範囲です。
岩手民報は盛岡市の岩手県立図書館が所有しています。
廃刊紙です。
現在も存続している岩手日報とは違いますのでご注意を。
(私も、うっかり岩手日報のT4.3.20を見て「無い無い…」と探してしまいました。)
余談ですが、岩手日報は岩手在住者の必読紙です。