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秋田・青森、挽歌紀行<8>青函連絡船と津軽海峡冬景色

宮沢賢治とその他の地域

秋田・青森、挽歌紀行<7>のつづきです。

宮沢賢治さんが花巻農学校の教員をしていた時、修学旅行の引率で青森駅に到着したのは1924(大正13)年5月19日午前5時20分です。

或る農学生の日誌」という賢治さんの作品があります。「1925年4月1日、農学校の三年生になったときから今日まで三年の間のぼくの日誌」という設定で書かれていて、津軽海峡を渡って行く様子が書かれています。作品から引用しつつ青森の駅前を散策したいと思います。

青森の町は盛岡ぐらいだった。停車場(ていしゃじょう)の前にはバナナだの苹果(りんご)だの売る人がたくさんいた。(宮沢賢治「或る農学生の日誌」より)

工事中で迷路のようになっているJR青森駅を抜けました。目の前に青函連絡船が見えていて、そちらに早く行きたいのですが、その手前の観光案内所で忘れてはいけないミッションがあります!

青森駅前の青森市観光交流情報センターです。

こちらでマンホールカードを手に入れました。(蓋活&札活。)ねぶたと跳人(ハネト)で青森らしいデザインです。

あれ?観光交流情報センターを海側に出ると「八甲田丸 本日休館日」の看板が!

えー八甲田丸 休館日ってどういうこと!?
中見れないのかー。゚(゚´Д`゚)゚。

あおもり駅前ビ…雪が深いです。看板が途中から読めません。

オシャレな倉庫風の建物、A-FACTORY(エーファクトリー)は物産と飲食店が入っています。何か青森らしい美味しいものが食べたい!と思いましたが、15:30ラストオーダーで食事できず…。館内、青森の銘柄米「青天の霹靂(へきれき)」推しなのはよくわかりましたw米、米加工品以外にラーメンも「青天の霹靂」!

おぉぉ遂に来ました!「青函連絡船」です。大きい!八甲田丸です。近くに行ってみましょう♪

言わずもがな、青森と函館を繋ぐ、津軽海峡を渡る船です。どれくらいの人が乗れるのでしょうか?

八甲田丸は、1964年(昭和39年)1964年(昭和39年) 三菱重工神戸造船所製、総トン数 約5400トン、旅客定員 1200名、1600馬力8基のディーゼルエンジン船

1200人!しかも、車も乗れるんですよね?

賢治さんたち一行は、1924(大正13)年5月19日午前7時55分発の青函連絡船「田村丸」に乗船して函館に向かいます。

田村丸は、1908(明治41)年イギリス製、全長約90m、総トン数約1500トン、定員約330名の蒸気タービン船でした。八甲田丸に比べれば規模は小さいですが、26人の一行に対して10倍以上の定員ですから大きく感じたんじゃないかしら。

ところで、船名は東北に由来して「坂上田村麻呂」だそう…なんだかフクザツな気分です。だって、東北人にしてみれば侵略者じゃないですか。

「あれは国鉄のマークでは?」と気になったカナちゃん。こういう時はサクッと社内報連相。編集長に聞いてみると「本州で造った車両を輸送できるよう、船の中に線路があります。」と。

え、船の中に線路!?

それで1階に車両展示室があるんですね。船の中に線路、そして列車が…うわぁ!すごい。中見たかったなぁ。宮沢賢治さんを追って来た津軽海峡の青函連絡船で、またしても鉄分と遭遇。賢治さんを追ってる私は、最近すっかり「乗り鉄」って言われてます。賢治さんが鉄ちゃんですってw

奥で存在感を放ってる△の建物は、「青森県観光物産館アスパム」。

15年前に入ったレストランは、オシャレで高価格帯で、青森って高級ブランド化に踏み切ったんだなぁ…と思いながら食べた記憶が。

八甲田丸の前に海上保安庁の船。

八甲田丸正面。

あっちが津軽海峡(冬景色)。私達はあちら側に行けませんが、宮沢賢治さんの作品「或る農学生の日誌」から津軽海峡の場面を引用して、旅気分を味わいたいと思います。

五月十九日

いま汽車は青森県の海岸を走っている。海は針をたくさん並ならべたように光っているし木のいっぱい生えた三角な島もある。いま見ているこの白い海が太平洋なのだ。その向うにアメリカがほんとうにあるのだ。ぼくは何だか変な気がする。

海が岬で見えなくなった。松林だ。また見える。次は浅虫(あさむし)だ。石を載のせた屋根も見える。何て愉快だろう。

青森の町は盛岡ぐらいだった。停車場の前にはバナナだの苹果だの売る人がたくさんいた。待合室は大きくてたくさんの人が顔を洗ったり物を食べたりしている。待合室で白い服を着た車掌みたいな人が蕎麦も売っているのはおかしい。

船はいま黒い煙を青森の方へ長くひいて下北半島と津軽半島の間を通って海峡へ出るところだ。みんなは校歌をうたっている。けむりの影は波にうつって黒い鏡のようだ。津軽半島の方はまるで学校にある広重の絵のようだ。山の谷がみんな海まで来ているのだ。そして海岸にわずかの砂浜があってそこには巨きな黒松の並木のある街道が通っている。少し大きな谷には小さな家が二、三十も建っていてそこの浜には五、六そうの舟もある。

さっきから見えていた白い燈台(とうだい)はすぐそこだ。ぼくは船が横よこを通る間にだまってすっかり見てやろう。絵が上手だといいんだけれども僕は絵は描けないから覚えて行ってみんな話すのだ。風は寒いけれどもいい天気だ。僕は少しも船に酔わない。ほかにも誰も酔ったものはない。

いるかの群が船の横を通っている。いちばんはじめに見附けたのは僕だ。ちょっと向うを見たら何か黒いものが波から抜け出て小さな弧を描いてまた波へはいったのでどうしたのかと思ってみていたらまたすぐ近くにも出た。それからあっちにもこっちにも出た。そこでぼくはみんなに知らせた。何だか手を気を付けの姿勢で水を出たり入ったりしているようで滑稽だ。

先生も何だかわからなかったようだが漁師の頭らしい洋服を着きた肥った人がああいるかですと云った。あんまりみんな甲板のこっち側へばかり来たものだから少し船が傾いた。

風が出てきた。

何だか波が高くなってきた。

東も西も海だ。向うにもう北海道が見える。何だか工合がわるくなってきた。

いま汽車は函館を発って小樽へ向って走っている。窓の外はまっくらだ。もう十一時だ。函館の公園はたったいま見て来たばかりだけれどもまるで夢ゆめのようだ。

巨きな桜へみんな百ぐらいずつの電燈がついていた。それに赤や青の灯や池にはかきつばたの形した電燈の仕掛けものそれに港の船の灯や電車の火花じつにうつくしかった。けれどもぼくは昨夜からよく寝ないのでつかれた。書かないでおいたってあんなうつくしい景色は忘れない。それからひるは過燐酸(かりんさん)の工場と五稜郭。過燐酸石灰、硫酸もつくる。

宮沢賢治「或る農学生の日誌」

「或る農学生の日誌」によると、修学旅行の内容は18日の夜10時に花巻を出発して23日まで札幌から室蘭をまわるもので、津軽海峡・トラピスト・函館・五稜郭・えぞ富士・白樺・小樽・札幌の大学・麦酒ビール会社・博物館・デンマーク人の農場・苫小牧・白老のアイヌ部落・室蘭という内容。胸が躍るラインナップです!いいなぁ…私もH5系に乗ってこのラインナップで北海道旅行に行きたい!

青森駅前、青森の文化交流観光館ワ・ラッセにスタンプ1個。しっかり押し事w

飲食店がやってない…飢えてきました。

ねぶた綺麗ですね。本当のねぶた祭りを見たことが無いのですが、なんとはなしに満足してしまっています。祭りのねぶたはもっと凄いのでしょうか?

迦楼羅(かるら)!龍を食べる神様です。鳥面の神様を見るとテンションが上がってしまいます♪…とはいえお腹が空きました…凹゛

つづく

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青空文庫で「或る農学生の日誌」の全文が読めます。

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