日帰り出張岩手旅<2>のつづきです。
ただいま線路上を歩いています。曇り空と雪で白黒写真みたいになっています。
つららがすごいので、建物の軒下を歩いてはいけません。落ちてきて刺さりますよ。
小学生の頃、校内放送で「軒下を歩いてはいけません」「つららを取ろうとしてはいけません」ってめっちゃ言われたなぁ…
材木町公園のデハ3
前回よりだいぶ雪景色の材木町公園。歩道と車道の区別がつかないほどの積雪です。
今日のデハさん。
ここにもつららの罠が!要注意です。
若葉公園、宮沢賢治ゆかりの梨の木
引き続き賢治さんのお墓を目指して歩いています…おや?あのシルエットは賢治さんに関係した場所ということでしょうか?
若葉公園にて「宮沢賢治ゆかりの梨の木」を発見しました。
この説明を読んで私はびっくり!
「花巻農学校の跡地」って「花巻市文化会館」なの!?
昔の記憶が繋がってきました。
ぎんどろ公園の向こうにある「花巻市民会館」、そう多くは無いですがコンサートを聴きに来た場所です。
その時に隣の公園で遊びたかったのですが…それが「ぎんどろ公園」でしたか。
「花巻市民会館」が見えてきました。
花巻市民会館
ここがかつて賢治さんが教鞭を取っていたという「花巻農学校」だったんですね。そして、今賢治さんが眠っているお墓との近さに驚きます。
ぎんどろの木です。特徴的な葉っぱは冬なのでついていません。白い幹が綺麗です。
宮沢賢治さんは、花巻農学校で3年間教壇に立ち、土壌、肥料、作物、農産製造、英語、化学、代数、気象の8教科と実習を担当しました。賢治さんは、農業科学はもちろん、学校劇なども熱心に指導しました。「心象スケッチ 春と修羅」、「イーハトヴ童話 注文の多い料理店」の著書を刊行したのもこの時代です。
昭和44年(1969)、花巻農学校はこの場所から市内葛へ移転。跡地は、西半分に「文化会館」などの建物が建ち、東半分は「ぎんどろ公園」 になりました。
花巻農学校跡地だけあり、賢治さん関連の表示が元生徒さんの手によってゆかりのエピソードが書かれています。
道路の向こう右奥に、賢治さんのお墓がある「身照寺」が見えています。行ってみましょう。
つづく