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【2022/2/1】日帰り出張岩手旅<3>花巻「旧花巻農学校」へ

宮沢賢治と岩手

日帰り出張岩手旅<2>のつづきです。

ただいま線路上を歩いています。曇り空と雪で白黒写真みたいになっています。

つららがすごいので、建物の軒下を歩いてはいけません。落ちてきて刺さりますよ。

小学生の頃、校内放送で「軒下を歩いてはいけません」「つららを取ろうとしてはいけません」ってめっちゃ言われたなぁ…

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材木町公園のデハ3

前回よりだいぶ雪景色の材木町公園。歩道と車道の区別がつかないほどの積雪です。

今日のデハさん。

ここにもつららの罠が!要注意です。

若葉公園、宮沢賢治ゆかりの梨の木

引き続き賢治さんのお墓を目指して歩いています…おや?あのシルエットは賢治さんに関係した場所ということでしょうか?

若葉公園にて「宮沢賢治ゆかりの梨の木」を発見しました。

この説明を読んで私はびっくり!

宮澤賢治ゆかりの梨の木

若葉町(現花巻市文化会館)に花巻農学校(現花巻農業高等学校)が出来たのは、大正十二年四月そのころ教師をしていた宮澤賢治が、これからの時代は果樹栽培技術を向上させるにはもっと広い果樹園が必要であることを説き、この事を知った賢治の母イチの父親宮澤善治氏(現宮善 宮澤商店)が次代を担う青少年教育のためならと七反歩の土地を無償で貸与され、この地に立派な果樹園が出来たのです。時移り学校の移転、時代の変遷都市化が進み環境も一変しましたが、何故か当時のこの梨の木が風雪に耐え歴史を語るように生き続けていたのです。

なんとかこの梨の木を立派に育て蘇らせ、この地に教育の場があったこと、先人・篤志家達の心と歴史的背景を偲び、花農名残、賢治ゆかりの梨の木であることなど広く知ってもらい、若葉町民ならびに広く市民の心の拠所としていつまでも大切にと願うものです。

なお、この梨の木は「真鍮(しんちゅう)」と言う優秀な品種で明治時代に関東地方で多く栽培され、今にして貴重なものです。

平成十六年三月 若葉町親交会

「花巻農学校の跡地」って「花巻市文化会館」なの!?

昔の記憶が繋がってきました。

ぎんどろ公園の向こうにある「花巻市民会館」、そう多くは無いですがコンサートを聴きに来た場所です。

その時に隣の公園で遊びたかったのですが…それが「ぎんどろ公園」でしたか。

「花巻市民会館」が見えてきました。

花巻市民会館

花巻市民会館

ここがかつて賢治さんが教鞭を取っていたという「花巻農学校」だったんですね。そして、今賢治さんが眠っているお墓との近さに驚きます。

ぎんどろの木

ぎんどろの木です。特徴的な葉っぱは冬なのでついていません。白い幹が綺麗です。

宮沢賢治さんは、花巻農学校で3年間教壇に立ち、土壌、肥料、作物、農産製造、英語、化学、代数、気象の8教科と実習を担当しました。賢治さんは、農業科学はもちろん、学校劇なども熱心に指導しました。「心象スケッチ 春と修羅」、「イーハトヴ童話 注文の多い料理店」の著書を刊行したのもこの時代です。

昭和44年(1969)、花巻農学校はこの場所から市内葛へ移転。跡地は、西半分に「文化会館」などの建物が建ち、東半分は「ぎんどろ公園」 になりました。

賢治先生も絶賛した桜

花巻農学校跡地だけあり、賢治さん関連の表示が元生徒さんの手によってゆかりのエピソードが書かれています。

道路の向こう右奥に、賢治さんのお墓がある「身照寺」が見えています。行ってみましょう。

つづく

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