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神保町~御茶ノ水と賢治2015

宮沢賢治と東京

2018年に「神保町~御茶ノ水と賢治」として歩いた工程が、賢治さんにとって重要だった「水晶堂」も「金石舎」もかすっていなかったことに「【まとめ】賢治の東京における足跡」を書いていて気づきました。あちゃ~

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2015年に歩いた神保町~御茶ノ水と賢治

人の多いエリアなので、今撮影しに行くのを遠慮して、2015年に緑の線ルートで歩いた際の写真で紹介したいと思います。

旧万世橋駅

旧万世橋駅舎は既に無いのですが、ホームと高架下が商業施設になっていて、通り過ぎる電車をガラス越しに間近に見れます。

2015年時、外にはこのようなパネルがありました。

大宮にある鉄道博物館が、元はここにあったんですね。

旧万世橋駅駅舎。東京駅にそっくりですね。

東京駅と同じく辰野金吾の作…というのを、この時知りました。ナギノートをやり始めると、この時代の洋風建築は「辰野金吾」か「ジョサイア・コンドル」ということを何度も目にすることになるんですよねぇ。

ホームの基礎部分は今も一緒でしょうか。

駅前です。当時の万世橋駅の詳細な解説については以前のナギノートで記載しているので、そちらをご覧ください。

館内トイレ前にジオラマを展示しているスペースがあり、外の写真と同じ景色が再現されて広がっています。

どのアングルからも見れます…あれ、線路切れてます。神田駅に繋がる前のようです。

あ、ホームもバッチリですね。ここでさっき私は電車見たんですねぇ…。

月夜の電信柱に出てきそうなガラスの碍子がいっぱいついた電柱もある♬

一番知りたい1931年の車両が展示されていないのでガックリしたのですが、開通時から甲武鉄道は電化していたことに驚きました。長距離走るのに電気だったんですねぇ。

須田町食堂

出てすぐの酒亭じゅらく神田店は、旧須田町食堂第1号店。洋食の大衆食堂で、東京の名所だったようなのです。洋食の食堂と知って、賢治さんが行ったというのを意外に感じました。「公衆食堂(須田町)」の舞台がここだとする説もあるのですが、検証が必要そうです。

須田町食堂を経営している会社は「聚楽」で、店名が変わっても会社は同じなのですね。そして、同じ系列の店舗で須田町食堂の名前そのままに「当時“東京名物”と謳われたお店が、秋葉原UDXにて復活。」というコンセプトの店舗が秋葉原にあると知り、行ってみたいと思っております。

明治17年創業 老舗蕎麦屋 神田まつや

2015年3月25日 桜が満開でした。

行列が絶えない老舗の蕎麦屋さん。一度並ばずに入れたのですが、中は満員で相席必須でした。

金石舎

賢治さんが宝石研磨の様子をのぞいて、自分もこの仕事がしたいと言っていた店は「金石舎ビル」という名称の違う業種のビルになっていました。けど、名前だけでも残っているから迷わず見つけられました。

水晶堂

同じく、研磨しているのを見ていた宝石商。「レインボービル」という名前になっていました。本当にここが水晶堂だったのだろうか?と二度見三度見。物件検索すると、レインボービルと同じ場所に「水晶堂ビル」という名称が示されるので、「水晶堂」は「水晶堂ビル」になって「レインボービル」になったようです。

八幡館

1931年、東京で倒れた賢治さんが宿泊していた宿「八幡館」の敷地はカザルスホールという施設の一部分でした。

日本大学の敷地です。

写真左上あたりが賢治さんが泊まっていた部屋の位置らしいのですが…難しいですね。

ニコライ堂

2015年のこの時は、今の姿と同じと思い込んでいた私。詳細な解説については以前のナギノートで記載しているので、そちらをご覧ください。

聖橋

ニコライ堂と湯島聖堂を結ぶから聖橋。聖橋からのお堀と線路の交差が面白いです。

湯島聖堂

湯島聖堂が見えてきました。

湯島聖堂はざっくりと説明すると、江戸時代に建てられた、のちの東京大学・筑波大学・お茶の水女子大学の源流となる教育施設です。

さらにその奥に神田明神があります。

神田明神

湯島聖堂の雰囲気とはガラリと変わり、こちらは神社のアドバンテージを活かしたエンターテイメント施設になっておりました。

オリジナル商品やガチャガチャまであって面白いです。

聖橋からのニコライ堂

帰り道。聖橋からのニコライ堂は、行きとは違った表情です。

賢治さんは1931年の上京の時、上野駅から円タクに乗って八幡館に行ってるので、この道走ったかもしれませんね。

まとめ

2015年、何の資料もなく記憶だけで歩いているので現地の写真はあってもレポートとしては浅いですね(笑)私が鉱物がとても好きだったので、金石舎水晶堂の前でどんなトキメキがあるかと過剰に期待していた部分がありました。そのショックからか資料を揃えてナギノートを始めてから改めて行くことはしていませんでした。