賢治さんは5人兄弟の長男で、妹が3人と弟が1人います。
作品に登場したり、モデルとされているのは、一番年の近いトシさんなのです。
「銀河鉄道の夜」の成立にも密接に関わっているので、作品の後に作者を知ろうとすると、すぐにトシさんに行き当たります。
トシさん、賢治さんより先に亡くなっています……『永訣の朝』ですね。
亡くなった妹を探し求めての行動も『銀河鉄道の夜』に反映されています。
なので、「作家・宮沢賢治」を語っている親類は、シゲさん・清六さん・クニさんの身内(または本人)ということになります。
トシさんを知った時に最初に私が驚いたのは
「東京の大学を出ている」←これです。
トシさんは東京の日本女子大を出ています。
平成時代も岩手県民の女子は「東京の大学に行く」というと少なからず親の反対にあっています。
それが、更に時代を遡った大正時代。
もっと言うと、息子の賢治さんの上京を反対していた父・政次郎さんが、娘を上京させるというのも腑に落ちず。
何かあったにちがいない。
しかも余程のことにちがいない。……と、岩手っこは思うわけです。
どうも、その理由がトシさんが花巻高等女学校在学中、卒業間際の3月に、新聞記事に掲載されたゴシップ記事だというのです。
岩手の女子が恋愛沙汰で新聞に載る。
令和元年の本日でも、おそらく近所のご挨拶のネタにされるであろう内容です。
宮沢淳朗著『伯父は賢治』に、トシさんの書いた『自省録』という文章が収録されています。
日本女子大在学中に、授業の一環で自分自身を振り返って書いた内容です。
上京して新しい環境になったのに、ずっとこの一件がひっかかっているようです。
賢治さん側の資料だけ追っていた時は、
トシさんを通じてタゴールの思想を吸収したとか、
病気のトシさんを過剰に献身的な介護をしたり、
あわよくばそのまま東京に住んでしまおうという賢治さんの企みがあったり。
まるで妹と恋人同士かのように書かれている資料もありますが、
トシさん側の資料を見ると……無邪気な兄に対して、距離を置いてい暗い所にいる心を感じます。
賢治さんと違って、東京生活を謳歌することはなく、
ひっそりと大学と寮だけを往復する生活だったのではないでしょうか……もったいない。
そういう気持ちにはなれなかったのでしょう。
さて、逃げるように上京したやむにやまれない事情のように書かれているのですが……大学受験経験者として、ささやかな疑問が残ります。
3月中旬に事件があって、次の月に大学って入れるもの??という。
今は私立大学入試は2月にあるので、3月20日頃は進路が決定済みなので、そこがしっくりきません。
3月に入試があるなんて、定員割れしてるところくらいしか……あ。
仮説:「当時は大学に進学する女子が少ないので、可能だった。」でしょうか。
………は、置いておいて、記事をもう少し詳しく読み込みたいと思います。