宮沢賢治in東京=本郷
イメージ的に一番メジャーな賢治さんの上京生活がありました。
東京でちゃんと家借りて、仕事して生活していました。
エリア最寄り駅は本郷三丁目駅か後楽園駅になります。本郷の名前が入っている本郷三丁目駅からスタートしましょう。
駅を出てすぐから、なんだか楽しそうな雰囲気の門があります。
賢治さん旧居がある菊坂とは通り一本手前になりますが、曲がっちゃいます。
通りに高さの差があって、時折階段。わくわくする仕掛けです。歩いていると、突如、存在感のある菩薩像が登場。なんだろう?と思うと、横には解説が。
戻ってきました(笑)。改めてとなりの菊坂通りに入ります。
こういう説明看板の充実が、さすが文京区…と、思います。
文京区の歴史探索は、事前調査不要ですね……。
菊坂の通りに入ったことも、一目瞭然。
ナギノ、ここで事前調査ノート閉じちゃいました(笑)
「ここですよー」って書いてあると、安心してゆるりと景色を堪能できます。
すぐ近くに、またまた菊坂の看板。菊坂アピール半端ないです。
薄々気づいていましたが、菊坂の一番の押しメンは樋口一葉。
階段が出現するたびに、降りて、看板見て…と、パターン化してきた頃
ん!?
ここが賢治さんの家でした。
1921年、賢治さんが下宿した場所。今は、別のマンションが建っていますが、ロケーションの雰囲気は出ています。雰囲気があって、住んでいて楽しそうな場所です。
余談ですが、この散歩の三か月後に、世田谷で知り合うアーティストさんがここの住人さんでした。奇縁(笑)。賢治さんが住んでいたことは知らずに住んでいたそうですよ。どこか似た雰囲気の人が集まってくるものですね。
ここに下宿しながら、賢治さんが働いていた文信社までは10分もかからなそうなのですが……先ほど地図で見かけた蓋平館…その、別荘太平館には私個人のアンニュイな思い出があるので寄り道を決めました。
これぞ、ベースノートであるよりみちノートの醍醐味です。(むしろ、本来の趣旨。)
文京区の押しメン樋口さんち方面へ。
雰囲気のある小路を登っていくと、意外な人物の家の前に出ました。
国語辞典の親子、金田一京助さん、晴彦さん。岩手県人繋がりです。
ははぁ…啄木も、賢治も、この偉大な先輩を頼ってここに住み着きましたな……坂を下ります。
次も坂。坂を上ると蓋平館があります。
キツイ坂です。これは覚えてるなぁ……東京に着いて、バス降ろされていきなりキツイ坂でした。ナギノ東京発上陸の地(笑)
平成の岩手県人の修学旅行、東京駅経由本郷でした。
蓋平館、マンションになってしまっておりました…。
蓋平館のの別荘が太平館という名前の旅館でした。私、中学の修学旅行で最初に来た場所がここでした。荷解きのために最初に宿に来たのですが、印象は最悪です。
とにかく古い。カッコよさを感じない古さ、くたびれたボロ感。部屋は8人部屋、一歩踏み出すとぐにょりと畳がたわみ、出された食事もまずかった……なんかカマボコすっぱいな……と。
そこがかつて石川啄木が下宿した場所という感慨が無かったので、説明されたのかされてないのか、記憶にないです(苦笑)
そんな思い出も、今では石になってしまいました。
雰囲気のある店を見ながら通りに出ると、東大です。
文信社捜索中。賢治さんの家の前の案内に現メガネ屋と書いてあったのに見当たりません。
聞き込みをすると、メガネ屋さんが歯医者さんになっていたことがわかりました。
こちら文信社(現/寺本内科・歯科クリニック)です。ここでの仕事は、東大のノートのガリ版切り。活字拾いはしていなかったようですが、アニメ「銀河鉄道の夜」のイメージで、活字拾ってそうです(笑)。
感想
82歳差の私と賢治さんですが、岩手を出ないで育っている岩手県民が、初めて東京と出会うのは修学旅行というのは共通です。賢治さん初上陸は王子駅西ヶ原の坂。私は本郷の新坂。東京の急な坂に驚きます。(「ぢゃ!」)山道の急斜面ならいくらでもありますが、道でこんなに傾斜があるのは面食らいます。東京は坂だよ。
関連リンク
よりみちノート東京版はこちら
改訂版 東京よりみちノート ([バラエティ])
今回のノートは、ひとり東京さんぽ withよりみちノート (よりみちムック)に付録としてついていた、ちょっとだけ範囲の違うマップの東京よりみちノートです。