御茶ノ水橋のアスファルトが剥されて、東京市電の跡がむき出しになっている!!
壊すための工事とはいえ、この景色を見るチャンスに出会えて良かった……!
御茶ノ水橋の上を通っていたのは錦町線。
写真の奥に向かって直進して、次の停車場「甲賀町」は、賢治さんが最後に上京した時に宿泊した旅館「八幡館」の目の前です。
(今だと、明治大学リバティタワー/日大カザルスホールのところです。)
当時の市電は、常に満員で乗るのが大変だったようですが、
1931年上京時の足取りでは、吉祥寺行きで御茶ノ水駅を使った可能性もあるのです。
乗ったかも!(上り坂だし)
仮に電車に乗らなくても、このレール(の横)を歩いていたかも!
少なくとも旅館に入る直前には、このレール(の続き)を目にしていたのです。感激!
今回出てきたレールは1930年製。橋は1931年5月完成。9月に賢治さんが最後に見た時は敷きたてピカピカですw
こちら、具体的な年代は不明ですが、戦前の絵葉書。正面の医科歯科大の建物が一橋大時代の可能性も入れると大正9年~。手前の学生さんが袴に制帽というスタイル。奥の日傘のお嬢さんが「ハイカラさん」のイメージそのものなので、大正の空気漂ってるのですが、年代の決め手に欠いております。
路面が白飛びしていて質感不明だったのですが、今回、石畳だとわかりました。
同じアングルでパチリ!
すごいなぁ…想像しているよりも、東京はもっとずっと素敵な街だったのかもしれません。