戦前(明治・大正・昭和初期)の絵はがきからは当時の風景・風俗を知ることができます。
<絵葉書の場所の今>
写真の赤い橋「渡雲橋」は同じ位置にあり、階段上のかつて盛岡城の本丸があった場所に絵葉書では「南部利祥(なんぶ としなが)中尉銅像」があるのですが、1944(昭和19)年に軍需資材として供出されて今は台座を残すのみとなっています。その台座は同じ場所にあるのですが、木で見えにくくなっているので台座のみの写真もいただきました。
解説
盛岡城は三戸から移転してきた南部氏の居城です。戊辰戦争では幕府方、新政府軍と対立して敗戦します。このことで城が維持できないことも然り、この地の人々が「賊軍」の汚名を注ぐためには軍人・政治家として中央に出ていかないと活路が無かった背景です。南部家第42代利祥(としなが)は24歳で日露戦争において戦死し、功五級金勲章を受けました。ここにかつて建っていたのは、その功績を顕彰する像で、1908(明治41)年に建立されました。
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